時 事 法 談 (10)
合掌
金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。
結手
さて、今回は「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法の基本理念を、考えてみたいと思います。
1、 門信徒たちの抱負と願い
あけましておめでとうございます。 最初に、門信徒の皆さんそれぞれに「年頭にあたっての抱負や願いについて《語ってもらいます。
2、 自分自身への働きかけと社会への働きかけ
今、発表してもらったそれぞれの抱負や願いを整理してみると、自分自身に働きかけるものと、社会に対して働きかけるものに分けられます。自分自身への興味だけでなく、自分と社会の双方に目を向けた生き方ができるように修行をしていきたいものです。自分が主体的に働きかければ、必ず社会は変わるのですから。
3、 「ひろ さちや氏《事件
昨年の暮れに、仏教学者のひろさちや氏が大金を盗まれた事件を覚えていますか。夫婦で旅行に出かけて帰ってみると、ドアのカギがこじ開けられ、たんすにしまってあった1億数千万円を盗まれたというものです。これだけの金額をたんす預金できるということ自体驚きですが、とても質素な暮らしをしているそうで、印税収入の内その生活費と寄付金などを除いた分をコツコツじっくり蓄えていたそうです。「3000万円貯まったら、インドに寄付をして学校を建ててもらおうと考えていた。それが貯まったときには5000万円まで増やしてより大きな寄付をしようと。そしてそうなったら、1億円にして基金を作りもっと有効な貢献をしようと考えた。欲が出てしまった。《とテレビのインタビューに答えていました。「そういうつもりで貯めたお金なので、泥棒さんにもそんな風に使ってもらいたい。《と淡々と話していました。
4、 貧乏人とお金持ち
貧乏な人は、ほんの少しでもお金が無くなると大変です。明日食べるものが買えない、まさに命に関わりますからね。では、お金持ちはどうでしょうか。やはり、ほんの少しでもお金が無くなれば大騒ぎするはずです。棺桶の中にまで持って行くことはできないのに、自分が使い切れないほど持っていても、欲がつきることはありません。当然私達のように中流意識をもつ多くの日本人は、お金のことには目の色を変えてしまいます。
5、 豊かな人と強欲な人
自分が生きるので精一杯な人は、他の人に目を向ける余裕がありません。でも、お金がいくらあっても、その欲にとらわれてしまっている人は、やはり他の人を思いやる余裕は生まれないものです。自分が生きるのには困らない程度のお金と、他を思いやる心の余裕を持った人が、本当に豊かな人ではないでしょうか。ひろさちや氏は、桁が違いますが、そのことを実践されているのだと思います。
6、 gentle man(強さの裏づけのある優しさ)
gentleには優しいという意味がありますが、lady firstを実践するためには、強さが必要です。自分に余裕がない人は、女性を気遣うことなどできないのですから。普段は、上流階級であるというだけでgentle manだと言われている人も、逆に出身や肌の色で差別の憂き目にあっている人でも、「タイタニック号《のような極限状況に遭遇したときに、真のgentle manであるか否かがわかるのです。
7、 マザー・テレサ、釈尊、イエス
マザー・テレサは、全ての吊利を捨て他のために尽くされました。多くの人に愛を与えつづけられました。釈尊は、全てを捨て去って修行された結果、仏陀となられました。イエスは、「富める者が救われるのは、ラクダが針の穴を通り抜けることよりも難しい《と仰いました。 彼らはみな、金銭的に豊かではありませんでした。にもかかわらず、豊かな心をもち他のために尽くされたのです。本来の豊かさとは、物質的なものではなく、心の問題であることがよくわかります。自分に誇りを持ち、他人に愛を与える喜びを感じている人は、たとえ金銭的に貧しくとも、心は豊かなのだと思います。
8、 幸せとはなにか
自分が上幸だと思っている人は、決して豊かにはなれません。豊かでない人は、他の人に目をやる余裕もありません。自分が幸福でなければ、他人の幸福を願うことなどできないのです。
幸せとは何かと考えると、多くの答えが出てきます。しかし、本当に大切なものが何かをはっきりと認識することが重要です。私は、自分自身の尊厳と、ともに分かち合える仲間だとおもっています。豊かな人格を形成し、多くの素晴らしい絆を結ぶことこそが、幸せだと考えています。そして、その幸せをより大きなものにするために、努力すべきだと思うのです。まず自分を何よりも大切にします。そして自分の大切な人が楽しければ、私も嬉しくなります。大切な人が悲しい思いをすれば、私も悲しくなってしまいます。だから、自分の大切な人たちの幸せも願うのです。自分自身や大切な人の尊厳を踏みにじられるようなことに対しては、私は断固戦って尊厳を守ります。
技術においても、自分が上手くなりたいから相手の上達を願います。他人の上達のために教えさせていただくと、結果的に自分の考えが整理できて自分の技術も上達します。自分のためになるからこそ、教えさせてもらうのが楽しいのではないでしょうか。まずは、エゴイスティックに自分のことを考えても良いと思います。でもそんな経験の繰り返しの中で、他人の喜びを自分の喜びにできるようになっていくのです。本当に自分のことを考えると、他人のことを考えずにはいられなくなるのですから。
以前の私は、自分と自分にとって大切な人さえ幸せであれば良いと考えていました。その気持ちが、だんだんと広がり世界中の人の幸せを願うようになってきました。そしていつかは、嫌いな人も含めて全ての人の幸せを願える度量の広さを持ちたいと努力しています。
いままで私の幸せ感について述べてきましたが、人の価値観は様々です。私の幸せ感を他人に強要するつもりはありません。「他人の犠牲《の上に成り立つものでない限り、そして「自分のない生き方《と「自分しかない生き方《でない限り、それぞれの幸せ感は尊重されるべきものだと思います。いずれにしても、自分自身が自分の価値観で幸せだと感じることが大切です。
9、 半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを
自分の幸せを何よりも大切にするからこそ、他の人の幸せを願えます。豊かな心をもつためにも、皆さん大いに幸せになってください。今の自分を幸せだと思えないことほど上幸なことはないのですから。幸せであるためにも、そしてより幸せになるためにも、年頭にあたって描いた自らの抱負を、上撓上屈の精神で是非とも実現させてくださいね。 理想境実現に一歩でも近づける素晴らしい21世紀になるよう、皆で力を合わせて金剛禅運動に邁進しましょう。
以上
なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。
(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院
道院長 小 林 佳 久
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