時 事 法 談 (76)

「原点を知ろう識」

2006年7月4日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期) この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「勝負《と題してお話します。

1、 試合とは何か

 もうすぐ秋田県大会ですね。少年部の演武はだんだん仕上がってきました。少林寺拳法の大会、これは試合ではありません。勝者を決めるということをしないのです。順位をつけるのですから競技会ではありますが、チャンピオンになることを目的に行うべきものではありません。競い合って全体のレベルを上げることが大切なのであって、勝者を褒め称えるものではないのです。でも、一般的には武道でもスポーツでも試合をしますよね。学校の部活やスポ少などでは、毎週毎週、試合試合です。本人よりも、親御さんのほうが夢中になっているようにも見えますけどね。
それでは、試合とはいったい何でしょう。「技を競い合い勝敗を決めること《だといわれていますが、試しあいの意味もあるわけですから、安全に配慮してどちらが強いか決めようということですよね。要するにルールの下での競い合いですから、実戦とはまったく違うものです。少林寺拳法のような武道が試合という形式になじまないのは、そんなところにも大きな理由があります。にもかかわらず多くの武道が徐々に競技スポーツ化してきたのは、勝敗を決めたいという本能的な期待にこたえるために、ルールの下で試しあうことによって安全に勝負をつけようとしてきたからです。

2、 勝負の意味

 けれども武道のような人と人との争いが前提となる技術において勝負を決するのは、本来殺すか殺されるかです。スポーツの試合とは比較にならないほど真剣なものです。「戦ったら誰が一番強いのか《それをはっきりさせたかったら、ルールもヘッタクレもない殺し合いしか方法がないのです。
でも、そんなことをする意味がどこにあるでしょう。殺人が目的ならば徒手空拳よりも銃やミサイルのほうがよっぽど効果的です。「本当の強さ《は、単純な腕っ節の強さではなく、うぬぼれではない自信を持つことによって生まれます。「誰が一番強いのか《そんなくだらない競争には何の意味もないでしょう。だから少林寺拳法には試合がないのです。「本当の強さ《を身につけることを目的としている少林寺拳法では至極当たり前のことですが、この当たり前のことすらわからない人がとっても多いのです。「本当の強さ《つまり「自信《がついたかどうかは、誰かと比べる必要はありません。ただ自分自身に向かい合うだけのことです。皆さんは十分に理解してくださいね。少林寺拳法の大会は、勝者を決める場ではなく、同志が集って楽しむ場なのです。技術の向上はもとより、同志的連帯意識の高揚をはかり、部外者の理解を求めることを目的にしています。

3、 勝ちにこだわるな

 人は、勝ち負けにこだわります。だから試合をすれば、勝つために手段を選ばない人が出てくるのです。ホリエモンや村上氏が間違えたのもそこです。私たち金剛禅門信徒は、大会においても人生においても決して勝ちにこだわってはいけません。勝ちにこだわる姿は、修行者のあるべき姿とは正反対の、執着や苦悩に満ちた生き方です。
けれども、だからといって勝ち負けはどうでも良いというものでもありません。勝つ必要はありませんが、上撓上屈、決して負けてはいけないのです。大会においても、出場することに意義があるとばかりに、成果を出すための努力を惜しんではいけません。精一杯努力して、自分自身が紊得できる成果を出してほしいと思います。人生においても、大富豪になる必要はありませんが、乞食でも困ります。平和で豊かな幸せを追求していくことは、人間として至極当然のことです。私たちは、常に誇り高く生きるべきです。負け犬になることは最も恥ずべきことのひとつなのです。

4、 負けたと思わなければ負けではない

 負けないためには、「負けたと思わないこと《が絶対に必要です。開祖は、「負けたと思わなければ本当の負けではない。負けたと思ったときこそが本当に負けたときである《と仰っています。「彼を知り己を知らば百戦危うからず《です。逆に言えば、十分な準備が整っていないと感じたら、いったん退くことも戦略です。ここぞというチャンスが訪れたならばあらためて一気に攻める、一時的にはどんなにやられても負けたと思わない上撓上屈の精神力があれば、決して負けない生き方ができるはずです。

5、 本当に大切なもの「信《

 つまり、どんな逆境にあっても、決してあきらめないことが負けない秘訣なのです。「成功した人は、成功するまであきらめずに続けただけ《と言います。自分で自分をあきらめてしまっては負け犬のような人生が確定してしまいます。今年の道院長研修会で、鈴木代表が「信《について熱く語られました。自らの可能性を信じること、ダーマを信じること、同志を信じること、それらこそが、本当に大切なことなのであり、負けない心そのものなのです。現象面での勝ち負けにとらわれることなく、ダーマ信仰にもとづいて人生を力強く生き抜くことこそが、私たちの目指すべき道なのです。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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