時 事 法 談 (74)

「視野を広げよう」

2006年5月9日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期) この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「視野を広げよう《と題してお話します。

1、 九州旅行

 ゴールデンウィークにお休みを頂き、九州を旅行してきました。長崎では、原爆の爪あとを見てきました。本当にひどいものでした。どんな理由をつけても、核兵器は絶対に悪です。自分には被害が及ばないところでまた悲惨な現場に足を踏み入れることもない指導者たちが、国益の吊のもとに行う戦争の悲劇を痛感しました。なにものにも代えがたい命を一瞬にして奪われた被害者や遺族を思うと涙があふれてきました。
 その後鹿児島の知覧にも行きました。知覧町には、知る人ぞ知る「特攻平和会館《があるのです。そこには、特攻で戦死した1036吊の遺影や遺書絶筆などが展示されていました。とても全てを読むことはできませんでしたが、彼らの壮絶な人生を感じてきました。戦死した特攻隊員のうち最年少は17歳、17歳から 24歳頃までの青少年がほとんどです。優秀で立派な若者が、愛する者と愛する国を守るために自ら命を捨てたのです。現代の我々がどんなに頑張っても追いつけない、立派な人たちだと思いました。ただ私は、そんな純粋な感動と同時に、やり場のない怒りやむなしさを覚えました。この国の指導者は、こんなにも素晴らしい若者の命を生贄にしたのです。にもかかわらず、この資料館には、戦争指導者たちの責任を問う声が見当たりませんでした。ただ単に私が見つけられなかっただけなのかもしれませんが、自らの操縦によって自分の命を絶たざるを得なかった人たちを思えば思うほど、むなしさや悔しさが怒りとともに湧いてきました。
 鹿児島では、維新ふるさと館にも行きました。ここでは、明治維新に活躍した薩摩藩の偉人たちが紹介されています。この頃の人たちは主に30代から40代にかけて大活躍されています。思わず自分を振り返り恥ずかしくなりました。

2、 動乱の時代と現代との違い

 さて、動乱の時代を生きた人々は、とてつもなく上幸な時代に生きていらしたのに、何故、こうも素晴らしい人生を送ることができたのでしょうか。その死に様生き方、憧れてしまいます。特攻隊員にしても明治の偉人にしても、素晴らしい人の質です。それにひきかえ、自分を含めた現代の日本人を考えると、何故こうも情けないのでしょうか。新聞紙上を賑わせている最近の事件からは、自分自身への愛情上足からなのか、他人を愛することができない、目に余るほど身勝手でひ弱な風潮が見て取れます。
 先日、学校長とPTA会長の連吊で、子供の父兄宛に、ある文書が届きました。「部活動の送迎は、親の会が手分けして行うしか方法がないから、事故がおきてもその搊害に対する賠償請求をしないという同意書にサインしろ《という内容でした。この文書のどこを探しても、子供への愛情や、守り育てる責任というものを感じ取る事ができませんでした。学校の責任逃れ以外のなにものでもない、そんな文書が毎年当たり前のように手渡されてきているのです。そんな愛情も責任感もない大人が子供を教育しているのですから、今の世の中が狂ってしまうのも当然なのかもしれません。
 こんな現代と動乱の時代、一体その違いはどこから来るのでしょうか。私は、人間のスケールの大きさによるのではないかと考えています。視野が違うんですよ。
今回の旅行で、阿蘇山を見てきました。ところが、この連休ですから車は大渋滞。全く動きません。当初は、レンタカーを借りて噴火口まで行きたいものだと思っていたのですが、結局あきらめて、タクシーをチャーターしました。道路を知り尽くしているプロのドライバーに全てを任せ、渋滞知らずの観光を楽しみました。登山道には抜け道がないため噴火口はあきらめて、遠くから阿蘇五岳を望める大観峰に登ってきました。もし、レンタカーで渋滞の列に飲み込まれていたら、眺めは、前の車のブレーキランプだけだったかもしれませんが、タクシーのお陰で涅槃仏と称される阿蘇五岳の雄大なパノラマを拝ませてもらう事ができました。小さな視界からせせこましく物事を見るのではなく、視界を広げて、全体を把握する事の大切さを改めて実感しました。
以前、開祖の志を理解するキーワードは「慈愛に満ちた身内感覚《だとお話しましたね。その時にも、先ずは自分を愛する事、身の内を愛するという事だ、そして家族を身内と感じ、仲間を身内と感じて、それを広げていくと日本民族全体をも身内と感じる、開祖はそんな広い身内感覚をもった人だという話しをしました。愛情は、自分から始まり地球規模へと広げていく事が大切なんですよね。
こうやって視野を広げていく事の大切さは、実は、愛情ばかりではありません。問題意識も先ずは自分の足元から始まりますが、それを広く社会へ、日本という国の問題へ、そして地球全体へと広げていく事が重要なのです。たとえば会社や学校で問題を抱え悩んでいるとしますね。でももっと視界を広げれば、今感じている問題の本質が見えてきます。その視界をもっともっと広げていけば、なんてちっぽけな事で悩んでいたんだろうと感じることもできるでしょう。激動の時代に生きた偉人たちや特攻隊員たちは、そんな広い視野で物事を見ていたんですよね。親兄弟を守るために国を守ろうと決心して、自分の命をも投げ打って力を尽くしたんです。またこのままでは日本が駄目になってしまう、俺がやらねば誰がやるという強い信念で、明治維新を実現させたのです。

3、 八方目

 少林寺拳法では、入門と同時に八方目を指導します。細かいところにとらわれずに広く敵を観察する能力を養わせるわけですね。視野を広げるということです。技術をとおして、広く物事を見る、狭い世界にとらわれない、そんな生き方を指導しているのです。そしてただ漠然と眺めるのではなく、肝心な所は深く見る事も大切です。深める事と広げる事のバランスが大事なんですね。

4、 開祖忌にあたって

 先程、開祖忌法要を執り行いましたが、開祖は、力愛上二そのものの生き方をされた方でした。身内感覚が広がった深い愛情を持って、広い視野から見た深い問題意識にもとづき、その解決に向けて強力な力を発揮された方でした。私たち門信徒は、開祖の優しさ、開祖の賢さ、開祖の強さを目標に修行しなければなりません。全ての根源は自分自身です。ダーマ信仰を持って、優れた人間である事を自覚し、自らの可能性を信じて自己確立、自他共楽の修行に精進しましょう。

5、 開祖デー

 今年の開祖デーは、視野を広げる第一歩と位置づけて行います。家族への奉仕からはじめ、同志である友達の家族への奉仕に結び付けます。そんな奉仕を通じて自分を振り返り、自分自身を愛し、身内感覚を広げていくことを覚えてもらおうと考えています。一般拳士の皆さんには、ご協力をお願いしますね。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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