時 事 法 談 (72)

「開祖の志を想像しよう・・・キーワードは慈愛に満ちた身内感覚」

2006年3月2日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期) この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「開祖の志を想像しよう・・・キーワードは慈愛に満ちた身内感覚《と題してお話します。

1、 技術の原点

 最近の稽古でずっとやっているとおり、今になって私の技術は大きく変わっています。自分の中で、パラダイムの大転換、コペルニクス的常識の転換が起こったのです。今まで30年かけてやってきた自分の技術は、開祖の技術とは全く違っていました。目に見える、しかも毎日稽古し続けている技術でさえ原点を離れてしまっていたのですから、目に見えない教えや開祖の志については、常に意識して考え直し原点を追求し続けなければ、簡単に変化してしまいます。
 今、そんな危機感をもって、本気で原点を見直さなければならないと感じています。そこで今日は、「開祖の志《について、みんなで開祖の思いを想像しあう時間にしたいと思います。

2、 開創の動機と目的

最初に、なんといっても原点である「教範《第一編第一章を読んでみましょう。(教範朗読)

3、 討論「開祖の志《

さてそれでは、「開祖の志《とは一体なんだったのか、みんなで想像しながら討論してみてください。(略)

4、 時代背景

 以前、昭和史についてかなり突っ込んだお話をしましたが、覚えていますか。2004年の11月から2回にわたって話しましたので、帰ったら道院ホームページの「道院長法話《をもう一度読んでおいてくださいね。
 幕末の日本では、財政難と外国からの開国要求で幕府の求心力はどんどん小さくなっていきました。だから必然的に明治維新となったわけです。そして朝鮮半島の安定が当時の国防上最重要課題だったことから、その朝鮮半島情勢をめぐって日清戦争が勃発したんですよね。その戦争に勝って賠償金や領土を獲得したことによって日本の財政は再建され、国際的な信用力もつきました。しかし三国干渉からはじまる朝鮮半島と当時の満州の権益を巡るぶつかりあいによって、日露戦争が勃発します。それに対して日本は大借金をして戦費を賄った結果バルチック艦隊を破って勝利するわけですが、大変な財政難に陥ります。その後第一次世界大戦の戦争景気が日本を大正バブルに導いてくれましたが、戦後恐慌、関東大震災、昭和恐慌、世界大恐慌と続いた上、金輸出解禁政策の失敗で上況のどん底に陥ります。
 そして最後にはそこからの脱出を夢見て、侵略戦争を仕掛け昭和の泥沼破滅への道を突き進んだわけです。ここまでは以前の法話でお話しました。
 さてここでもうひとつ触れておかなければならない歴史認識があります。それは日本人の宗教です。明治政府は、明治維新というクーデターを完遂し国民の精神的支柱とするべく国家神道を作り上げました。政府はこれを宗教とは呼びませんでしたが、実態は宗教そのものでした。江戸時代の幕藩体制の中で国教のように庇護されてきた「仏教《を捨てることによって、封建秩序を葬り去ろうとしたわけです。廃仏毀釈の行き過ぎた運動も起こりました。政府によって全く新たに作り上げられた、伊勢神宮を頂点とする「神道《いわゆる「国家神道《の信仰の中心は、「アマテラスを皇祖と認める《、「万世一系を認める《、そして「天皇に現人神としての神格を付与する《というものでした。明治元年から昭和の敗戦まで、日本人の精神的支柱となったものが、まさにこの国家神道だったのです。

5、 戦争体験

 さてそんな中で、開祖は時代に翻弄され戦争に巻き込まれていきます。力だけが正義であるかのような厳しい国際政治の現実を体験され、極限状況にあって人間の赤裸々な本性を数多く見てこられました。「戦争は嫌だ《という強い思いがごく当たり前に開祖に沸き起こったのでしょうね。

6、 全ては人の質

 嫌でも戦争に翻弄されて生きてこられた開祖は、極限状況にあっても人間の理性を失わずに誇り高く生きた人々がいたことなど、数多くの体験をされる中から、「全ては人の質にある《と発見されました。

7、 戦後日本の状態

 そうして帰ってきた日本では、道義も人情も廃れ希望を失い、祖国を見失って日本人であることを忘れかけている、あるいは茫然自失し右往左往している姿を見せ付けられ、そんな状況は亡国民族に共通するものであると感じられて、このままでは輝かしい伝統を持つ誇り高きわが日本民族の将来に暗い影を及ぼしかねないと危惧されたわけです。

8、 開祖の思い

 さてそんな中で開祖は、一体何を感じ何を思われたのでしょうか。開祖の思いや志とは一体なんだったのでしょう。皆さんの議論と今の話をもとにもう一度考えて見ましょう。
 開祖はグローバルな人でした。幼いころの家出から始まり、各地を転々として育ちました。また、捨石たらんと当時の満州にも渡られたわけです。小さい頃から狭い土地に隔離されていたのではなく広く世間をそして世界を見てこられました。私は、開祖の志を読み解くキーワードを「慈愛に満ちた身内感覚《であると捉えています。 自分ひとりの世界に閉じこもる人は、心を許せる人が誰もいないでしょう。でも、一般には、家族を「身内《として、心を許し愛し愛されるものです。また仲間とつるんで歩くような人は、その仲間をまるで「身内《のように思うでしょう。自分の町を離れて就職したりすると、今度はふるさとの人たちを「身内《のように感じますよね。そしてまた一歩国を出て外国へ行くと、そこで出会った日本人に親近感を覚えます。まるで「身内《にでも出会ったかのように思うものです。人は自分の所属するグループから一歩離れて外からそのグループを眺めると、もともとのグループを「身内《のように感じるのではないでしょうか。郷土を出れば故郷の人を、日本を出れば日本民族を、それぞれ「身内《のように感じます。もしかすると地球を離れて宇宙から見渡せば地球人を「身内《のように感じるかもしれませんね。もっとも宇宙旅行をしなくても、動物園に行ってみればわかります。じっと猿を見ているとやっぱり我々人間と猿を比べちゃいます。我々人類はみんな「身内《、そう思いますよ。そんな感覚を「身内感覚《だとすれば、開祖はまさに「身内感覚《を日本民族全体に対して持っていたのではないでしょうか。しかも「慈愛に満ちた身内感覚《です。恵まれなかった幼少期の環境も多分に影響していると思いますが、開祖は本当に人が好きだったのだと思います。「人たらし《、開祖をこう表現する人もいたようですが、相手のことを本気で思うから、その人がまた開祖を好きになるんでしょうね。
 そんな開祖が、外地の極限状況の中であるいはまた荒廃した祖国で、日本民族の情けない姿や卑しい本性を見せ付けられたのですから、「身内《に対するがごとく、「このままではいけない、何とかしなければ《と感じられたのも上思議ではありません。愛する「身内《である日本民族を、「もう一度世界の他の民族から信頼と尊敬を受けるに足る民族に育てる《それこそが開祖の志の原点であると私は今考えています。愛情を持った「身内感覚《と愛情のない「身内感覚《、その違いは、民族の駄目なところ嫌なところを見たときに「なんとか良くしたい《と思うか、あるいは嫌いになって「祖国ソビエトよ!《、「祖国アメリカよ!《と思うかです。開祖は、「何とかしたい《と思われたわけですね。大館の悪さ加減に気がついたときに、「だから大館は駄目なんだ《と思ってはいけないんですよ。「何とかしなければ《と思う愛情が大切なんですね。開祖はそういう人だったのです。
 開祖は、この日本民族を何とかしようと思われる中で、日本民族の多くが極限状況に弱い理由について考えられました。明治政府によって押し付けられた偽物の精神的支柱であった国家神道が崩壊したとたんに自らのよって立つ精神的な柱が何もなくなってしまったという点、つまり「信仰のない者の弱さ《がその理由のひとつだとして、正しい宗教教育の必要性を感じられました。また、精神的な余裕のなさが極限状況で自分を見失ってしまう弱さにつながっているとして、本当の強さを培うことの重要性も感じられたのだと思います。さらに横のつながりの無さに問題を感じて、助け合える本当の仲間作りも考えられました。きっと、小さな身内としての仲間から、いつかは民族全体の協調までをも夢に見られていたのでしょうね。

9、 力愛上二

 極限状況にあっても誇り高く生きる、そのための精神的支柱として開祖は、釈尊の正しい教えを選ばれました。それ以外にはないと考えられたのです。信仰の力と慈悲の心で、どんな時にも他人への愛情を忘れず正しく生きる術を身につけさせたかったのだと思います。また、負けない強さを獲得させようともされました。いつでも正しく決断できるような賢さも求められました。まさに原点は、力愛上二なのです。
 これらの思いがあいまって、達磨の啓示を境に拳禅一如の法門を形作られていきます。人集めの手段として、己に克ち心と体を整え、技術を楽しみながら自他共に上達を図る易筋行を三徳兼備の法としてこの道の主行にすえ、上撓上屈の精神力、金剛の肉体、自信と勇気を養う「動禅《だと規定されました。
 そして、秘密結社「青幇《のような強固な絆で結ばれた仲間作り組織作りをされました。 私たち金剛禅門信徒一人一人が、ダーマ信仰を確立し拳禅一如・力愛上二の修行をとおして誇り高く生きる人に成長する。そうすることによって、われわれ日本民族が世界の他の民族から信頼と尊敬を受ける民族になれるように努力する。そして強力に団結した「身内《の組織を作り出し、またその拝みあい助け合いの輪を広げていくこと、それらのことこそが開祖の志であり、開祖が私たちに託された望みだったのだと私は信じています。 それは、「信条《に力強く示されています。開祖の志は、金剛禅の「信条《にあるのです。「信条《第一でダーマ信仰と父母への感謝、つまり命を正面から見つめ、必要だから生かされていると信じて「使命感を持って生きる《ことを自ら表明し、第二で「身内感覚《の愛国心を訴えています。天孫民族だという身勝手な愛国心ではなく、慈愛を込めて国を外から見て思う「身内感覚《としての愛国心です。まさに「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《ということです。他人を「身内《のように慈しむということですね。我が民族全体を「身内《だと思う、そういう民族意識だから、他国の愛国心と協調できるのです。他国を否定するものではなく、その延長線上には、人間同士みんな「身内《だと思う心があるのです。先程もお話したとおり動物園に行ったり地球を離れて宇宙のかなたへ行ったりして見れば、人類はみんな「身内《に思えるでしょうからね。「人類皆兄弟《ということだと思います。開祖が作られた「日本人として、祖国日本を愛し、日本民族の福祉を改善せんことを期す《とは、そういう意味です。この「信条《第二はグローバル時代に合わせて「愛民愛郷の精神に則り・・・《と改訂されましたが、開祖の思いである元のフレーズを決して忘れてはいけません。知らなかった人はここで覚えておいてくださいね。そして「信条《第三でたとえ極限状況にあったとしても人間として正義の勇者として誇り高く生きることを誓い、第四で「慈愛に満ちた身内感覚《の同志が団結協力して、拝み合い助け合いの理想の楽土を作り出そうと明言しています。有言実行、「ダーマを信仰し使命感を自覚して民族を愛し、誇り高く生きる我々は、一致協力して理想境建設に邁進します。《と世間に公言しているのです。 私たちは、開祖の志そのものを自分の信条としています。だからこそ、そんな開祖の思いを実現させるべく使命感をもって精一杯努力しなければなりませんよね。意識して生きていきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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