時 事 法 談 (70)

「常識」

2006年1月5日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期) この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「常識《についてお話します。

1、 明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。悲惨な事件事故、国際情勢、何かと暗いニュースがとても多いですが、今年も楽しく修行して幸せをつかんでいきましょうね。

2、 去年の反省

さて、新年最初の布薩会ですので、この場で去年の反省を発表してもらおうと思います。(略)

3、 今年の抱負

つづいては、今年の抱負を発表してもらいましょう。(略)

4、 私の年賀状

 では、私の番ですね。反省や抱負は年賀状に書いたとおりです。少年部の拳士には、「想像し、共感し、行動しよう《と伝えました。その他の方々へは、「柔法研究の結果、今まで自分の中で常識としてきたものが大きく覆されてパラダイムの大転換が起こった《こと、「可能性を信じあきらめずに努力し続ける事で結果が表れるといまさらながら実感した《こと、そして「人生においても自分の中で常識としてきた自分自身の殻を打ち破り全く新たな自分を確立しようと決心した《ことをお伝えしました。

5、 柔法研究におけるパラダイムの大転換

 柔法研究におけるパラダイムの大転換とは、技術上のことではありますが、今まで常識としてきた事が完全に覆されたという意味で、私にとっては大変なショックを覚えた事件でありまた重大な発見でもありました。
 たとえば、投げるためには、攻者の体を前屈させなければならないという思い込みがありましたが、私のこの常識は完全に打ち砕かれました。また、手首を利かせるのは痛みを与えるためだという思い込み、この常識も覆されました。そして、攻者の体を崩して投げるという常識、これについても大転換でした。安定と上安定は紙一重だという大発見もしました。今回の研究を通して、私自身にとっての常識が、数え上げればきりがないほど多くあっけなく覆ったのです。これはまさしくパラダイムの大転換です。

6、 人生の常識

 人間が物事を考え判断するという行為は、自分がそれまでに築き上げてきたデータベースとの照らし合わせ作業です。たとえば目に見えているもの、それは実態ではありません。脳が描いているもの、つまり自分の脳が作り出している虚像なのです。私は色弱です。緑と赤の区別がつきにくいのです。信号で迷うこともあります。どうやら他の人が見ている色と私が見ている色は違うようです。私の目には赤と緑が同じように見えてしまいます。私には緑と赤の細かな違いを識別するデータベースがないのです。だから違いがよくわかりません。目の前にある信号そのものの実態が違うのではなく、私の目と脳が、他人のそれと違うということです。こういうことは何も先天異常に限った事ではありません。誰もがみんな、見た物を勝手に自分の脳で思い描いておいて、他人と共通のものを見ているのだとこれまた勝手に思い込んでいるのです。その描き方は、それぞれが持っているデータベースによって当然違うのです。具体的な物ばかりではなく、抽象的な事についてもそれが当てはまります。
 人生の壁にぶち当たったとき、「もう駄目だ《と思う人と、「こんな壁は簡単に乗り越えられる《と思う人の違いは、似たような壁を乗り越えた経験、つまりデータベースを持ち合わせているかどうかの違いだけです。データベースのある人にとっては、「できる《という思いが常識であり、そういうデータベースのない人にとっては「できない《というのが常識になります。人の常識などというのは所詮そんなものなのです。前にもお話しましたが、袖巻で投げ飛ばしている開祖の写真を見て、「開祖だからできる《と思っていた以前の私の常識が完全に覆されて、「誰でもできる《というのが私の今の常識になりました。その常識の違いはただ単にデータベースが増えたからです。私は、たまたま今回の研究の基礎的理論であるバイオメカニクスや機能解剖学を学ぶ事ができました。他の人よりも知識や経験があったわけです。しかも、有段者の皆さんの英知を集める事もできました。どれだけ多くの知識や経験を積むか、それによって正しく判断できる確率が高まります。だから、読書を含めた多くの経験をすることが大切なんですよ。しかし、頭が悪いせいかここまで研究が進むのにおよそ7年かかりました。今まで培った経験を踏まえてどれだけ考え抜くか。それが大事なんですね。今回の研究も、途中で投げ出さずあきらめずに努力し続ける事によって正しい結論を導き出せたわけです。たとえ多くのデータベースを集めたとしても、それらを関連付けたり活用したりする努力なくして、常識やパラダイムの転換は起こり得ません。自らが築いてきた常識という殻を自分の努力で打ち破り続ける、そういうエキサイティングな人生をこれからも送りたいと思っていますし、皆さんにもそうあって欲しいと願っています。

7、 占い・死後の世界

 とはいえ、自分の中で、常識を築いていくことはとても大切な作業です。生まれたばかりの子供が、経験を積んで徐々に自分のデータベースを増やしていく、常識を作っていくことによってまともな社会生活が営めるようになります。ルールやマナーも常識です。まっさらな心に常識を築かせるのは大人の役目です。社会の常識を子供に身につけさせること、それが教育の大切な一面です。常識的な行動がとれるように育てていく、そのためには押し付けでも詰め込みでも何でもいいから、当たり前のことを教えていく必要があります。個性を言う前に、みんなと同じ事が当たり前にできるようになる、そういう教育がなくなっているから、まともな社会人にならないんです。逆にちゃんと常識を教え込むしっかりとした初等教育ができていれば、成長した後に受ける高等教育の中で、データベースを増やし、自然に自分の殻を打ち破り、自分の常識を新たなものに書き換えていくことができるようになるわけです。
 最近、テレビを見ていてとても心配になってきました。やけに占いやら死後の世界やら超能力といったものが、流行っているようですね。自分で判断するだけの常識を持ち合わせている大人はいいんです。でも、常識のない人、ましてやまっさらな子供、自分で判断できるほどのデータベースを持ち合わせていない未熟な人たちに、そのような情報を与えれば、占いや死後の世界、いわゆる「あなたの知らない世界《が現実にあるという変な常識を築いてしまいかねません。
 これはとても恐ろしい事です。占いを常識として認識した子供は、自分で努力して人生を切り開くよりも運命論に流されて生きるかもしれません。死後の世界があるという常識を築いた子供は、「人生はリセットが利く《と思い込むかもしれません。実際、「死んでも生まれ変われる《と思っている子供がとても多くいるという調査結果を見たことがあります。間違った情報を子供から遠ざけ、正しい常識を築かせるのが大人の責任です。

8、 拳の三訓

 皆さんは「拳の三訓《という教えをご存知ですよね。技術の修得は、「守、破、離《と順を追って修練しなければならないとされています。一般に「守《は師の格に至ることであり、「破《では師の格を法にかなう範囲で変形する事が許され、「離《に至っては師の格から出て己の格を生み出すいわゆる出藍の誉れであるといわれています。これを技術の修練に当てはめてみると、「守《とは、自分自身の形が基本どおりにできるようになるまでの段階であり、「破《では、攻者の動きに焦点をあわせて自分の形を考え直す段階になります。つまり今までの常識を疑ってかかり、また新たな常識を築いていくのです。そして自由自在の境地が「離《の段階といえましょう。  技術ばかりでなく人生においても、最初に正しい常識をきっちりと身につけることが大切なのです。その上で、自分が身につけてきたデータベースを基にして古い常識を打ち破り新たな常識を築いていく、そんな作業が修行なのではないでしょうか。

9、 ダーマ信仰

 自分の常識は、修行によって自分で打ち破ることができます。常識は、打ち破るためにあると言った方がいいかもしれません。しかし、社会の常識はどうでしょうか。自分の常識と社会の常識にズレがあるとき、一体どのように考えたらよいのでしょう。
 赤と緑の違いがわからないということは、赤も緑も同じということです。それが社会の常識になるでしょうか。決してそうはなりませんよね。赤と緑が同じだと思う人は社会のマイノリティーだからです。色のことばかりではありませんよ。社会の常識とは、ただ単にそう考える人が大多数であるというだけの事なのです。ところが、正しい事というのは、議論を深めないで行う多数決で決まるでしょうか。要するに常識で判断しているうちは、正しいか正しくないかではなく、他人と同じか違うかということが基準になっているのです。私たちは、そこに判断基準をおくべきではなく、ダーマを信仰し「法灯明、自灯明《で生きようと修行しています。そのためには、真理を追究しデータベースを増やして深く考え続けていく事が大切なのです。現状に満足して頑なに今の価値観や常識にこだわり続けるのではなく、日々新たな常識を築いていこうというエキサイティングな生き方こそが、修行者としての生き方なのです。
 今年もお互い、楽しくしっかり修行していきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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