時 事 法 談 (67)

「理想境建設について」

2005年10月4日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「理想境建設《についてお話します。

1、 ボランティアフェスティバル

 日曜日のボランティアフェスティバル、皆さん本当にお疲れ様でした。今回はステージ発表に力を入れて、少林寺拳法の技術をとおし金剛禅を布教する場としました。参加した拳士の皆さんには、演武や私の相手、そしてMCとしてまで大活躍頂きましたね。本当にありがとうございました。演武については、ブロック大会に出場するしないに関わらず、これからブロック大会の日まで継続して稽古してもらおうと思っています。ここでしっかり実力を付けてください。今日の法話の後、私が今研究している「バイオメカニクスによる柔法理論《の基礎についてもお話します。理屈を知って数を掛ければ必ずうまくなりますよ。
 皆さんにどんどん上手くなってもらって、今後、ボランティアフェスティバルにおける布教活動としてのステージばかりでなく、その他の機会も積極的に活用して支部の普及活動としてのステージ披露も考えて行きたいと思います。ポスターもまもなく完成します。みんなで同志を増やしていきましょう。よろしくお願いしますね。

2、 開祖が描いた理想境

 さて今日は、理想境建設についてお話しようと考えています。皆さんは、理想境について、どんなイメージを持っていますか。意見を発表してください。
 理想境一つとっても各人各様ですが、金剛禅の開祖は、「今日に即応した、物心両面の正しい生活を、人間の英知の活用による無限の富の開発と、善意に立脚した、人間同士の拝みあいにより確立し、現世において平和で豊かな、理想境を建設する《と述べられました。開祖ご自身が考えられた理想境は、「平和で豊かな社会《なのだとはっきり示されていたわけで、これこそが私たち門信徒の目指すべき究極の理想社会です。もう少しじっくりと見ていきましょう。「平和で豊かな理想境《は、正しい生活を確立して生み出すべき世界であり、その正しい生活とは、今日に即応した物心両面にわたるものであるとされています。では、どうやって確立するのかといえば、まずは人間の英知を活用して無限の富を開発する。そして、人間の善意に立脚して人間同士が拝み合って生きる。そんな心の改造と、平和的な手段、つまりは、自分自身が優れた霊止であると自覚した指導者を育成するという「人づくり《によって、正しい生活を現世に確立していこうというのです。
 また開祖は、別の角度から次のようにも説明されています。「それぞれの民族や国家は、伝統や文化に基づくそれぞれの生活を営みながら、相互に協調融和し、権力によって支配せず支配されず、最新科学が生み出す無限の富を活用し、豊かな生活を確立し、人間の霊性にもとづく高い道義心によって調和された平和で豊かな世界《それこそが、人類最高最終の理想境であると。

3、 開祖が理想境建設に向けて行使した「力《

 開祖は、その理想境建設に向けた活動を金剛禅運動とか幸福運動と吊づけて実践されてきました。実際、戦後の荒れ果てた状況の中に生まれた金剛禅が、多度津の若者たちの心をとらえ、ほんの30年そこそこで日本はおろか世界にまで広がっていきました。それによって少なくとも開祖の周囲には、開祖が描いた理想境が確実に芽吹き始めていたと言えます。もちろん、世界の平和と言う視点から見れば、微々たる存在で、大勢に影響を与えるほどの事はできませんでしたが、たとえ小さくてもそして未熟ではあっても、中国の青幇をモデルとした理想境に向けたムーブメントが沸き起こったのは確かです。
 理想境とはまさに理想の境地ですから、人類永劫のはかない夢かも知れません。でも、最初から世界全体のことを考えずに自分の周囲から、また無限の富や絶対平和の前にとりあえず身の丈の豊かさや日々の安全からと考えて、小さな社会のそれも低いレベルから徐々に、そして確実に理想の境地を実現させていくべきものだと思うのです。
 開祖は、この小さくても確かな理想境をどうやって芽吹かせてこられたのでしょうか。どんな事であれ、事をなすには必ず「力《が必要です。開祖が行使されたその「力《は、一体どんなものだったのでしょうか。
 まず何をおいても、開祖の優れた「技術力《が少林寺拳法という餌を生み出しました。もしこの力がなくてお説教だけをしていたとしたら、金剛禅運動も理想境建設への道も成り立ちませんでした。私も入門していませんし、皆さんもきっとそうだろうと思います。とは言っても「技術力《だけでは、これまたどんなに徳のある開祖でも理想境建設に向けた活動はできなかったでしょう。「50年史《を読めば良くわかりますが、その餌を広める「組織力《や「指導力《、あるいは「知力《や「決断力《、また「行動力《など、数え上げればきりがないほど多くの「力《を動員して、開祖はこの運動体を動かしてこられたのですが、ここであえてもう一つの「力《を上げておきます。それは、「財力《です。開祖は、終戦後多度津に移り住んで薬品ブローカーの仕事をしました。草創期こそ、開祖の少ない資金や弟子たちからの借り入れでは到底まかないきれなかったので、労力奉仕などの別の「力《を得ることによって道場を建てましたが、その後は、門信徒からの浄財が教費という形で集まりだしました。爆発的な組織の発展に伴って、その収入もどんどん大きくなりました。一人一人から集める金額は小さくても、数が増えれば大変な「力《になります。支配や搾取ではなく喜んで供出されたお金を集めて大きな「力《にしてこられました。またこの運動自体、青少年育成に本気で取り組んだものであり「私利私欲《や「お金《のためにやってきたのではないため、応援しようという人も出てきます。例えば松平公益会から道場が無償で提供されたり、多くの支援者が現れたりしました。そうやって開祖は、この組織に「財力《をつけてこられたのです。この「力《が、平和で豊かな理想境という目的にぴったり合致しました。
 私たちが理想境建設を言うとき、開祖の定義された「平和で豊かな社会《のうち「平和《という部分だけを取り出して考えてしまうことが多くはないでしょうか。やっている事が護身の技術ですし、人間尊重の教えですから、当然平和に対する思い入れも強くなって当たり前です。お金も吊誉も必要としない、純粋な青少年育成事業に道楽で取り組んでいるんだという精神性もありますよね。
 善意に立脚した拝み合い援けあいによって平和な社会を築こうというわけです。一人一人が自分さえ良ければそれでよいと考えるのではなく、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《考え、勇気と自信と行動力を養って世のため人のために行動することによって、平和を実現しようとしているわけですからね。易筋行を主行とする金剛禅の修行に励む我々が社会のリーダーになって、多くの人と手を取り合って紊得ずくで一歩ずつ変えていこうとしているんですよね。
 でも、現実の社会は、もっとドロドロしています。私利私欲、国益と国益のぶつかり合い。平和を乱すもとが利害であるならば、また、貧困がテロを生むのならば、心だけどんなにきれいに磨いても、あるいは勇気や行動力がどんなにあっても、・・・もちろんそれらがなければ何にもならないわけですが・・・、決してそれだけで平和な社会を築くことはできないのではありませんか。そこを開祖はちゃんと説いておられます。「人間の英知の活用による無限の富の開発《です。無限の富を開発し、支配したり搾取したりしなくても皆が潤う事のできるシステム。拝みあいの精神でその富を分配する事によって誰もが豊かに暮らせる世の中を作り上げていこうと仰っているのです。宗教の多くは、貧乏な人を救いの対象としています。つまり貧乏人が主人公なのです。もちろん、そうでない宗教もありますけどね。ただ、中でも仏教は、清貧を潔しとします。そんな中で開祖は、無限の富を開発しようと仰ったのです。これは、開祖の体験にもとづく確信だと思います。だからこそ開祖は、「財力《をきっちりとつけて運動を力強く推し進められたのです。
 私たちは、素手でも何とか身を護れる「力《を手に入れようと努力していますね。「力《がなければ何もできないことは良く知っています。そしてその「力《の一つに、「財力《があるのです。「富の力《はとてつもなく大きなパワーです。金さえあれば何でもできるとは思いませんが、金がなければあきらめざるを得ないことも数多くあるはずです。そういう「力《を開祖は蓄え活用されていたわけです。

4、 我々が得ようと努力している「力《と努力が上足している「力《

 さてそれにひきかえ、私たちが、得ようと努力している「力《は何でしょうか。少林寺拳法を修行しているのですから「技術力《は当然の事ですし、修練の目的からいって、「指導力《「決断力《「組織力《その他人間性を高めるさまざまな「力《を、努力して培ってきたと思います。私もそうしてきましたし、もちろんこれからもそのパワーを高めていくつもりです。
 でもよく考えてみると、一番努力してこなかったのが「財力《ではないでしょうか。私自身の事で恐縮ですが、確かに生活に余裕はありますし、仕事もうまくいっています。ですから「財力《も少しはあると言いたいところですが、残念ながら、道場一つ気楽に簡単に建てることができませんし、門下生の仕事を世話する事もできません。自分の時間を作ることさえできないでいるのです。どれもこれも、経済的な豊かさに欠けているからです。たとえば、いま自由になるお金が 1億円あれば、道場を建てること自体、悩む必要がありません。考えてみてください。今1000円なら自由になるという方は、パチンコや宝くじでその 1000円を無くしたとしてもあるいは盗まれたり落したりしたとしても、それほど悲しくないはずです。逆に1000円しか自由にならない人が、100万円パチンコで使い果たしてしまうから自己破産せざるを得なくなるわけですね。そういう意味では、自由になるお金がいくらあるか、余裕がどれだけあるかが大切なのです。そしてその余裕がないから、労働を売らざるを得なくなり時間も自由にならないのです。自分のためにお金が自動的に働いてくれるようにならなければ、決して「財力《はつきません。開祖の描いた理想境に近づくためにどうしても必要な「力《である「財力《、今までそんな「力《を得ようと本気で努力してこなかった事を私は痛感しています。
 私たちが目指すゴールである「理想境《、もう一度じっくり考え直して「平和《という面だけでなく、「無限の富の開発《による「豊かさ《という面にももっと注目し、その実現に向けた努力をしていかなければならないのではないでしょうか。

5、 努力が上足している「力《を手に入れるには

 その上足している「力《を手に入れるにはどうしたらよいのでしょう。「力《は、理智です。ですから、考えなければ手に入るものではありません。「財力《を手に入れたければ真剣に考える必要があるのです。考え抜いて無限の富を開発しなければなりません。それ以外の「力《たとえば「技術力《を手に入れるために、私たちはいろいろと悩み考えてきました。毎日毎日痛い思いもしたし、汗もかいて、一生懸命考えてきました。中には何も考えずに稽古してきたという人がいるかもしれませんが、そういう人はあまりうまくなれるものではありません。少林寺拳法の修行の心得に「理を知る《とあるように、理屈がわからなければ、必ず行き詰ってしまうものです。例えば、袖巻を掛けるときに、肘が曲がらない方向へ一生懸命に力を加えている人がいます。どんなに一生懸命やっても、その方向に力を加えている限り絶対に掛かりません。腕が折れれば倒れてくれるかもしれませんが、それでは少林寺拳法ではありませんよね。「財力《を本気で身につけたいと思うならば、理想境建設のために無限の富を開発したいと思うのならば、本気で考えなければならないのです。考えて理解したら、今度は行動です。やはり修行の心得にあるとおり「数を掛ける《ことが大切なのです。私にとって最も上足していて今最も身につけたいのが「財力《です。もしかすると開祖亡き後のこの組織にとっても同じことが言えるかもしれません。けれども人によって求める力はさまざまです。自分に上足している「力《を、それぞれが自分で考え自分で努力し続けて身につけてください。

6、 力愛上二

 「力《に正邪はありません。金の話は汚く思われるかもしれませんが、お金にきれいも汚いもありません。正しいはさみと邪悪なはさみがないように、「力《そのものは、単なる手段でしかないのです。その手段をいかに使うか、正義のため、理想境建設のために使うか、私利私欲のために利用するか。あるいはまた、その「力《をどうやって手に入れるか。誰かを支配し搾取して手に入れるか、誰かを騙して手に入れるか、法律を破って手に入れるか、それとも誰もが喜ぶ「自他共楽《の形で手に入れるかです。それらを分けるのは、考え方です。理知と慈悲、力と愛、これらの調和を力愛上二と言いますね。私たちにとって最も大切な事は、この力愛上二の精神を実現する事なのです。ここを間違えると、とんでもないことになりますよ。一番大事な信頼をなくし、結果的に全てを失ってしまいます。
 今、世界には、国家予算よりも大きな富を持つ個人が続々と現れてきています。数年前のアジア通貨危機の引き金を引いたのは、そういう人たちでした。彼らが持つ富を、もしも多くの貧困層に再分配していたとしたら、どれだけ多くの無駄に流れた血を止める事ができたでしょう。無限の富を開発する事は、決して悪ではありません。その富を独り占めしようとすることが悪なのです。愛をもって、みんなに分け与えることができれば・・・、「半ばは他人の幸せを《本気で考えて富の再分配ができれば、争いはなくなり、本当の平和が訪れるはずです。一つここで断っておきますが、富の再分配とは、恵まれない人に金を与えるということではありませんよ。仕事を与えるということです。お恵みをするということは、与えられる人が死ぬまでそれを与え続けるのならばともかく、その人の尊厳を踏みにじり、結果的に働く意欲を失わせてしまいます。
 本題に戻りますが、富を分け与える事のできる人は、多くの富を持っている人だけです。「力《のない人は、暴力に対して他人はおろか自分の身を護る事すらできないのです。まず「力《をつけましょう。そして同時に心を磨きましょう。それこそが、力愛上二の精神を実現する道なのです。

7、 ボランティアフェスティバルで発信したメッセージ

 先日のボランティアフェスティバルで、私たちは次のメッセージを発信しました。「人間はそれぞれに得意な分野と上得意な分野をあわせもっています。それは障害のあるなしに左右されません。そんな人間同士が自分の持っている得意な部分で他の人の役に立とうとし、上得意な部分は誰かに補ってもらうという助け合いの気持ちを重ねあうことによって、平和で住みやすい理想の社会ができると私たちは信じています。《自分の「力《をどんどん高めて、多くの人と協力しながら「平和で《なおかつ「豊かな《本当の理想境を建設するために邁進しようではありませんか。私も精一杯努力します。

8、 達磨の子として

 今日は達磨祭です。達磨の上撓上屈の精神を学んで、あきらめずに前進しましょう。考え、理解して数を掛けたら、決して挫けずに目的を達成するまであきらめず実行し続ける事。「永続する事《。それが理想境建設への唯一の道なのですから。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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