時 事 法 談 (61)

「仕事について」

2005年4月5日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「仕事について《お話します。

1、 統一マーク・ロゴ

 いよいよ、統一マークとロゴが施行されました。ここでもう一度、そのコンセプトを確認しましょう。(説明)

2、 なぜ仕事をしているのか

 さて、今日は仕事について考えてみようと思います。皆さんは普段仕事をされていますよね。仕事を替えた方もいらっしゃいます。今新しい仕事を探している方もいらっしゃいます。学生もいますが、やがては仕事をすることになるでしょう。ここにはいませんが、専業主婦という仕事もありますね。人はどうして仕事をするのでしょうか。今日は、仕事の意義を二点に整理してお話します。

3、 仕事の意義 その1 「よりよく生きる《

 まず誰もが考えるのは、稼ぐためということではないでしょうか。ぶっちゃけたはなし、お金のためだという考え方です。でも、この考え方は、実は大変危険です。お金のために働くと言う事は、お金を得るために身を捧げるという事で、自分自身をお金の奴隷にしてしまっています。この考えの延長線上には、お金のために身体を売り、クスリを売り、人を騙し、強盗をするというところにまで行き着いてしまいます。「仕事をするのはお金のためだ《という考え方では、子供たちが援助交際をした事をとがめられて言うせりふ、「他人に迷惑をかけていないから、いいじゃん《という理屈を否定できませんよ。
確かに、通貨を信頼して、お金によって全てのものが売買される社会に生きている私たちは、お金がなければ生きていけません。でも、果たしてお金のために自分の身と心を労働力として売るという、いわゆる経済学の教科書に出てくるような労働者階級のあり方に満足できますか。
私たちが働く本当の理由は、お金のためではなく、より良く生きるためなのではないでしょうか。そう考えると、どんなに働いても一銭も入ってこない主婦業という仕事もすんなり紊得がいきます。子供たちに、援助交際はまともな仕事ではないという事も、十分説得できますよね。
お金は、とても大きな力を持っています。財力という力です。でも、これはあくまで目的達成のための手段なのです。少林寺拳法で、嫌な事は嫌と言える力を身につけようと修行している皆さんは、その力を身につけることが目的ですか。そうではなくて、馬鹿にされずにより良く生きるための手段にしようとしているのではありませんか。そうなんです。お金は手段に過ぎません。であるならば、手段と目的がすりかわらないように、正しい仕事の意義を理解しておく必要があるのです。
もちろん、お金がなければ食っていくことができません。ですから、より良く生きるという中で、とにかく絶対にクリアしなければならないのは、生活できるだけの所得を得る事です。その上で、より豊かな暮らしをするために所得を増やそうと努力する事も当然です。開祖は、人間の英知の活用によって、無限の富を開発しようと仰いました。私たちは修行者ですけれども、貧しくて良いとは考えません。豊かになることが、幸せの一つの要素である事は間違いないのです。だから、それぞれが持てる力を最大限に生かして、キャッシュフローを増やす努力をするのは、とても大切な事だと思います。そのためには、目的にあった努力が必要です。どんなに一生懸命働いても一向に豊かになれない人は、世の中にあふれています。豊かになりたければ、少林寺拳法と同じく、略・術・技をじっくりと練って、正しい努力をしなければなりませんよ。
ただし、お金を持って棺桶に入る事はできません。中国などでは、葬式のときに紙のお金を奉紊します。この地方にもそういう習慣がありますよね。死後の世界で豊かに過ごしてもらいたいという思いからだと思いますが、現実には、お金は生きている間しか使えません。金持ちが、きりのない欲を出してお金に執着する姿は破廉恥ですよね。「足るを知る《ということも修行の要点であることを忘れてはいけません。
お金が手段であるならば、きれいに集めて正しく使おうじゃありませんか。けれども豊かさは、お金ばかりが尺度ではありません。家事をすることも豊かになるためです。ゴミだめのようなところに住んで、いつもファストフードでは、決して豊かな暮らしとはいえませんから。また、ボランティアも自分自身が豊かになるためではありませんか。困っている人に手を差し伸べる行為は、自分の心を豊かにしてくれます。だからボランティアも仕事だと私は思います。仕事とは、お金を得るための行為ではなく、より良く生きるための行為なのだと考えているのです。

4、 仕事の意義 その2 「他者への奉仕《

 そしてもう一つの意義は、「仕事は、他者への奉仕である《ということです。全ての仕事は、他人とつながっています。仕事は何らかの目的をもって行われるわけですが、ボランティアばかりでなくどんな仕事でも他人に喜んでもらうところにその究極の目的があるはずです。自分以外の誰をも喜ばせる事ができないような仕事は、世の中に存在する価値がありません。もちろんお金ももらえません。つまり、誰かを喜ばせる事ができるから仕事なのであって、仕事をしてもその結果を出すことができなければ、仕事を成し遂げた事にはならないわけです。まあ実際には、喜びとはいってもさまざまな状況がありますから、単純に嬉しい事ばかりとは限りませんが、それなりに満足なり紊得なり諦めなり、何らかの感情的な落しどころに収まるといった風ですね。
社会人になれば、誰でも、結果責任が問われます。どんなに努力しても結果が出せなければ、何の意味もないわけです。仕事をする以上は、何としてでも結果を出さなければなりません。先ほど子供たちにも話したのですが、お手伝いも仕事です。引き受けた以上は、期待される結果を出すまで終わりにはならないのです。そういう厳しさを子供に伝えていく事も大切な教育だと思います。子供たちに掃除をさせると、右から掃いてはまた左から掃くというようにほこりをかき回すだけ、あるいは、床の掃除をした後で壁のほこりを落す、などといった無意味なことをよくしていますよね。仕事の目的をしっかり理解して、それを達成するための段取りを組み、略・術・技を練って仕事をすることで、はじめて他人を喜ばせる事ができます。単純な掃除から、複雑な大人の業務まで、基本は同じです。頭を使って仕事をしましょうね。そういう仕事ができる人は、技も上手いはずですよ。
実は、他人を喜ばせるという事は、そのまま自分の喜びになるはずです。人の喜ぶ姿を見て自分の喜びとすることができる。そんな素晴らしい生き方を身につけたいですね。仕事は、与える喜びが感じられる素晴らしい経験なのです。
そういう意味で、子供にお駄賃を渡して手伝いをさせるという考え方には、私は賛成できません。むしろ無償の奉仕をする中から喜びを知るという経験をさせるべきだと思います。仕事の対価としてお金が得られるという喜びは、就職をすれば誰でも感じるものですが、奉仕の喜びは、教えられ体験しなければわからない事です。仕事をしていく中で、他者への奉仕という考え方と、より良く生きるという目的意識をきっちりと持っているかどうかは、一生を左右する重要な事なのです。よく企業は、「地域社会への奉仕《ということばを使います。けれども、その言葉が儲けるための手段としてとらえられていたのでは本物ではありません。目的が儲ける事でその手段として社会への奉仕をするというのではなく、より良く生きることと他者への奉仕の二つを同じレベルの目的とすることがとても大切なのです。

5、 金剛禅門信徒にとっての仕事は「行《である

 私たちは、金剛禅門信徒です。今まで述べてきた仕事に対する考え方は、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という開祖の理念の展開です。自分の幸せ追究はよりよく生きる豊かさの追求であり、他人の幸せ追求は他者への奉仕です。しかも、他者とは、仕事をオーダーした人や利害関係にある人たちばかりではありません。「自分さえ良ければ《とか「自分たちさえ良ければそれでよい《とする考え方が上正の元凶であるとするならば、少しでも広い範囲の人たちにとってよくなるような奉仕をすることが、レベルの高い仕事ということができます。そういう考え方で仕事をすることで、自らを高めていくことができます。大きく考えれば、仕事をとおして理想境建設に向かうのです。行住坐臥、全てが修行です。もちろん、易筋行が私たちの主行(メイン)ですから、これを真剣に修行する中から自ら成長するためのエッセンスを掴んでもらわなければ困りますが、それを仕事に活かしてもらわなければ、これまた意味のないことです。仕事は、行であり作務なのです。金剛禅は、ただ自己確立を求めた自らの安心立命のためだけにある教えではなく、自他共楽の理想境を建設するために行動する宗教です。正しい考え方と行動で、日々素晴らしい仕事が成し遂げられるように、お互い努力していきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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