時 事 法 談 (58)

「いじめについて」

2005年1月11日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「極限レベルの違い《についてお話します。

1、 Tsunami

 明けましておめでとうございます。とは言っても、本当におめでたいかどうか。昨年は、天変、地異、人災と三拍子揃ったとんでもない年でした。特に年末になって起こったあの津波は、あまりにもむごく辛いものでした。WSKOの同志にも、大きな被害が出たようで、部内向けに義援金を募ることになりましたので、ご協力お願いします。なお、部外の方々に対する義援金については、道院個々に国際機関などを通じて行う事となりました。詳細は追ってご連絡します。
 去年一年間に亡くなられた私たちの同志と、悲惨な災害の犠牲になった方々へ、黙祷を捧げます。

2、 帰山ツアー

さて、今年の新春法会と鏡開式に、平泉家の皆さんとともに帰山してまいりました。平泉さんたちは、短い日程で徳島・琴平・多度津・高松・東京と走り回りましたので、せわしない旅行でしたが、はじめての帰山ということで、それぞれに何らかの想い出を残された事と思います。いつか、道院のみんなで、帰山ツアーを企画したいと思いますので、楽しみにしていてください。

3、 本山新春法会

それではこれから、本山で行われました新春法会の模様をご報告します。(略)

4、 統一マーク・ロゴ除幕式

次に、報道などでご案内のとおり、このたび少林寺拳法の統一マークとロゴが新たに制定されました。その除幕式の模様をご覧下さい。(略)

5、 ICAPS

今年は、新春法会に引き続き「道院長支部長研修会《が高松で開催されたのですが、その中で、ICAPS調査の結果報告として、大東文化大学の武内教授から、「少林寺拳法修行者の異文化適応力《と題した講演がありました。ICAPS調査と学会発表については、会報で大々的に取り上げられていましたので、皆さんすでにご存知かと思いますが、ICAPSというのは異文化適応力を測る一つの手法で、武内先生はこれを使って、武道を修行するとどれだけ異文化適応力が高まるかを調査されたわけです。ところが大学生の柔道部員を調査してみたら、一般の日本人よりも異文化適応力が低いという結果が出てしまいました。それならばということで、今度は、剣道部員を調べてみました。すると、やはり同じように一般的な日本人よりも低かったのです。要は、武道をやっても人格形成に役立っていない、いやそれどころか、やればやるほど悪くなるという結果が出てしまったわけです。
武内先生がそういう研究をされている事を知った少林寺拳法連盟では、手を挙げました。うちも調査して欲しいと頼んだわけです。その結果、少林寺拳法修行者は、一般的な日本人よりもICAPSの総合点が高かったのです。その上、修行すればするほど高くなるという結果が出ました。素晴らしい事です。少林寺拳法には、「教え《と「技法《と「教育システム《があります。これらが人格形成を確実なものにしているといえるでしょう。
ただし、そう喜んでばかりはいられない結果も出ています。ICAPSでは、「感情制御《、「開放性《、「柔軟性《、「自主性/創造性《の4項目が測定されます。これらを総合した点数では、少林寺拳法の修行者は、一般的な日本人に比べて有意に高い結果となったわけですが、実は、「感情制御《と「開放性《は、有意に低い点数だったのです。しかも、これらは修行をすればするほど低くなるのです。要するに一般的に少林寺拳法の拳士は一般的な日本人と比べて、自分の感情を制御できない、また新たなものを吸収しようとしないということです。これは大変な事だと思います。ちなみに、武内先生が尊敬していると仰る慶応大学の石川忠雄先生も、「基本的教育で何が一番大事かというと、自己抑制力を付けさせる事だ《とされています。感情を制御するということは、キレないということです。つまりは平常心です。平常心を磨く事が修行や修養そのものですから、我々は、修行が足りないと言われたようなものです。これは、喜ばしいどころかなんとも悲しい結果ではありませんか。

6、 人によって異なる極限レベル

いま、新聞を賑わせている事件を見ると、加害者の多くは、「こんな事で?!《と思うほど些細な事で、自分を見失いキレてしまっているように感じます。
これまで2ヶ月ほど続けて、昭和史と開祖の体験や思いについて法話をしてきましたが、開祖は、極限状況にあっても、教養のためかそれとも修養の結果かあるいはまた性格的なものかはわからないけれども、欲望を抑えたり他のために自分が犠牲になったりする人がいた、誇り高く生き抜くことのできる人がいたと仰っています。
この違いはどこにあるのだろうかと私なりに考えてみると、人によって感じる極限のレベルに違いがあるのではないかと思うのです。ある人にとっては、ちょっと肩がぶつかっただけで極限レベルに達してキレてしまう。またある人にとっては、生死のはざまにあってもなおまだ極限には達していなくて他の人を思いやる余裕がある。そんな風に、人によって極限値が違うのだと思うわけです。だから、周りから見ると大したことのない理由で人を殺してしまう奴がいたり、逆に極限状況だと思われる中で誇り高く人間らしく徳のある行動ができる人がいたり、といったことになるのではないでしょうか。

7、 平常心を保てるレベルを高める

そう考えると、私たちの修行は、平常心を保つ事のできるレベル、極限レベルを高めることに意識を集中する必要があります。ちょっとした事でキレてしまわないように、どんなときでも誇り高く生きられるように平常心を培っていく事が大切なのです。大人になるということですね。

8、 自信・勇気・平常心などを身につけるのは理屈ではなく訓練による

今回の調査結果を見て、私はこんな風に捉えました。「少林寺拳法の拳士は、開祖の教えを学んでいる。だから、理念としては、こうあるべきだという価値観をしっかり椊えつけられているけれども、平常心を身につけるという最も大切な修行がおろそかにされているのではないだろうか《そう考えたのです。自信や勇気や平常心などは、決して理屈で身につくものではありません。理念や教えを理屈として考え覚える事はもちろん大切で、「自他共楽《の理念を頭と心に叩き込むのが大前提ではありますが、その上で、訓練によって自信や勇気や平常心を身体にしみこませなければ、いざというときに人間らしく生き抜くことなどできないでしょう。
武内先生は、昨年末に起こった大学スポーツ部員の集団レイプ事件などに対して、「彼らは考える力がない《と嘆いていらっしゃいました。でも私は、彼らの極限レベルが低いために、その状況や集団心理などによって彼らがキレてしまい、考える事をやめたのではないかと思うのです。良い心である「魂《が悪い心である「魄《に負けたわけです。確かに現代社会は、大切なものが何なのか教育されず、正しい価値観を身につけていない子供が数多く育ってしまっている状況にありますから、正しい理念を伝えていく事はとても大切ではあります。でも、一般的には、「自分さえ良ければそれでいい《と考える事が正しいなどと思っている人はごく少数で、「自他共楽《の理念は、現代では多くの人に共感されるものになっているはずです。にもかかわらず、自己中心的な事件が後を立たないのは、平常心を高める訓練がされていないからなのではないでしょうか。こらえ性がないのです。
部屋を常にきれいにしていると、小さな綿ボコリが落ちているだけで気になるものですが、ゴミだめのようにしていれば、いつの間にか部屋中にゴミが散乱しても気にならなくなるものです。良くも悪くも慣れてしまうのです。何でも欲しいものがすぐに手に入るということに慣らされていれば、我慢する心が育つはずもありません。悪い方向マイナス面で慣れさせるのではなく、良い方向プラス面で慣れさせることが大切なのです。
理屈では、ごみが落ちていたら拾ったほうがいいと誰でもわかっています。ところがなかなか行動に移せないものです。勇気を持ってごみを拾い、またそれを常に繰り返していると、ごく当たり前のことになります。逆に理屈ではポイ捨てするのがよくないことは知っています。だから最初は、罪の意識を感じるはずです。でも、ポイ捨てを続けているとそのうち当たり前のことになります。罪悪感がなくなるのです。どんな事でも、繰り返し訓練をしていくと、当たり前になります。限界を超えるのです。訓練は、その方向次第でプラスにもマイナスにも極限レベルを押し広げていきます。上正を犯すとき、誰でも手に汗をかき緊張し罪の意識を覚えます。ところがそれを繰り返していると、なんとも思わなくなってきます。企業の上祥事が報道されますが、罪悪感を覚える限界がどんどんマイナス方向へ広がっていく事で、悪事を重ねてしまうわけですね。
乱捕をすると恐怖を感じます。ところが、訓練を重ねていくと、いつの間にかその恐怖を克朊しているものです。それが自信や勇気を生み出していきます。そうやってどんどん自分自身の極限レベルをプラスの方向へ高めていくのです。鎮魂行の打棒も、初めのうちはひっくり返るほどびっくりしたかもしれませんが、そのうち驚かなくなりますよね。
どんな事でも人格形成の上でプラスになる方向で訓練をして、堪え性を高めることが、平常心を養う事につながります。嫌な事や辛い事があったときには、そこから逃げたくなるものですが、それを絶好の修行のチャンスだと思って、逃げずに立ち向かう訓練をするのです。私たちは達磨の子です。上撓上屈の精神で立ち向かうのです。そうしていれば、その後に同じような事が起こっても、今度は辛いとも嫌だとも思わなくなっているはずです。

9、 強さ・上手さを目指しながら今年も厳しい修行に楽しく取り組もう

 「教え《と「技法《と「教育システム《をあわせもつ少林寺拳法には、確かに人づくりの要素がちりばめられています。けれども全ては人の質です。自分自身が、単なる技術の修得のために稽古するか易筋行として取り組むかによって、その結果は全く変わってしまうのです。もちろん本気で取り組む事が大前提です。少林寺拳法の技術を演練して強さや上手さを徹底的に追求することで自らの極限レベルを高め、平常心を養うという少林寺拳法本来の正しい修行である易筋行をしていけば、必ず感情制御力は高まります。理念ばかりでなく、ダーマ信仰にもとづいた信念を持って、正しく厳しい拳禅一如の修行に、今年も、楽しみながら一緒に取り組んでいきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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