時 事 法 談 (50)

「力愛上二について」

2004年5月4日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「力愛上二について《お話します。

1、 イラク人質事件と力愛上二

 最近上幸なことに戦時下のイラクで、日本人が拉致されてしまいました。結果的には全員無事救出されましたが、危機管理について考えさせられました。少林寺拳法の修行者は、危機管理の専門家であるはずです。私は、こういう危機管理に関する事件が起こるたびに、開祖の言葉を思い出します。

「力の伴わざる正義は無力なり、正義の伴わざる力は暴力なり《

イラクの事件を通して、今世間で議論されている「自己責任《といった次元の問題ではなく、もっと本質的なことを、今日は考えてみたいと思います。
今回の事件では、犯人、人質、家族、政治家、マスコミ、国民の六者が複雑に絡み合って被害者に大きな痛手を与えてしまいました。この中で何をおいても非難されるべきは、犯人であることに異論はないと思いますが、その上で私は、マスコミの罪が大きいと感じています。一般に国内で誘拐事件が発生した場合、今の日本のマスコミは人質の安全を第一に考えて、報道を自主的に見合わせているはずです。ところが今回の事件では、アルジャジーラの報道に呼応するかのようにしてマスコミが大きく報道し、ワイドショーのネタにして視聴率を稼ぎました。
今回の事件に関わったそれぞれの立場を考えてみると、人質になった人たちは、おそらく事件が起こるまで、それぞれの仕事が自ら命をかけて取り組むべき仕事であるとの使命感を抱いて、当然自己責任のもとに、現地で活動されていたと思います。また、家族の立場からすれば、どんな手段を講じてでも助けて欲しいと願うのは、ごく当たり前の気持ちです。そして、政府をはじめとした政治家たちが、国民を救出しようという思いで精一杯仕事をしたことも、容易に想像できますし、その立場からすれば、渡航をしないで欲しいと訴えるのも当然です。さらに、マスコミに踊らされた世論が、無責任に騒ぎ立てるのも当然といえば当然でしょう。結果的に真剣に救出を考えている人たちが妨害されたこと、被害者の命や尊厳を守るという立場とは違った動きがあちこちで起こってしまったことを考えれば、マスコミの罪は重いと考えているのです。危機にあっては、専門家を信じて専門家に任せ、周囲がとやかく無責任な発言や行動をすべきではないし、無責任な報道をすべきでもないと思うのは私だけではないでしょう。
今回の事件は、「自己責任《がキーワードのように言われていますが、私は、「力愛上二《がキーワードであると考えています。
少林寺拳法の六つの特徴のうち、行動原理に関して説いている言葉が、「力愛上二《です。「暴力に苦しめられているのをみて、愛や慈悲の心で助けてあげたいと思っても、勇気や力あるいは実行力を持っていなければ、現実に助けることはできません。反対に愛や慈悲心のない力は単なる暴力に過ぎないでしょう。上正や悪に勝つためには、まず善悪を見極め、状況を判断する力と、力の使い方、危険に立ち向かう勇気などが必要です。力と愛、理智と慈悲を調和統一させ、これを行動の規範として、自己の人生を安心で幸福なものとするとともに、社会の平和と福祉のために積極的に貢献していかなければならない《という少林寺拳法の目指す行動原理を表しているのが、「力愛上二《ですね。

2、 何のために修行しているか

 ところで、皆さんはいったい何のために修行しておいでですか。入門の動機は何だったのでしょうか。そしてまた現在の修行の目的は何ですか。少しお話をお聞かせ下さい。

3、 弱さの自覚から強さへの憧れへ

 いろいろな考えで修行されているわけですが、一つ考えていただきたいのは、自分の弱さについてです。自分の弱さを自覚されていますか。この自覚があって初めて強さへの憧れが生まれます。自分は十分に強いと思っている方は、強くなりたいとは思わないでしょうからね。弱さと言っても、いろいろありますね。けんかに弱いということかもしれませんし、健康でないということかもしれません、また意志の弱さや、決断力や判断力の上足を感じているかもしれませんし、行動力のなさを嘆いているかもしれません。いずれにしても、今の自分のどうしようもない弱さに対して、正面から向き合うことが修行の第一歩なのです。

4、 強くなるための永続的な厳しい修行

 弱さを自覚したとき、強くなろうと決心し努力をするかあきらめるかで、その人の人生は大きく変わります。自ら、強くなろうと決心して、覚悟を決めた皆さんなら、ぜひとも厳しい修行に耐え、長く続けて欲しいと思います。
 先日みんなで鳳凰山に登りましたね。「歩いても歩いても頂上はまだ先だ《と思えば、もうやめて帰ろうと言う気持ちになりませんでしたか。最後のあの急な坂を見て、「もういいや《と頂上をあきらめて帰ろうとは思いませんでしたか。
 どんなことでも、続けるというのは大変難しいものです。私も、少林寺拳法を除けば、長く続けていると他人に胸を張って言えるものは何もありません。とにかく好きなのと、楽しいのとがあいまって、28年になります。とはいえ、登山でも少林寺拳法でも、どんなことでも、楽しいだけでは続きません。どこかで必死に努力して頑張って我慢して初めて、続けていくことができるのではないでしょうか。この30年弱を振り返ってみても、決して平坦な道ではありませんでした。やめてしまおうと思うことも何度かありました。そんな思いを乗り越え続けなければならないのだと思います。
 拳士の中には、初段をとれば、目標を達成したと考えて道場から足が遠のいてしまう人がいます。でも、「十年早い!《と言いたいですね。少林寺拳法の場合、黒帯になってからが本当の修行です。少林寺拳法初段やそこいらで、強くなったような気になるのは思い上がり以外のなにものでもありません。
また、五段、六段になって、技術ができるようになったとき、もう十分だと思う人もいます。けれども本当の強さとは、そんなものではありません。確かに、素手で身を護れる自信なら、五段や六段になれば相当ついているでしょうが、本当の強さ、少林寺拳法の目的を考えれば、生涯修行を続けても頂上にはたどり着けないものであることは容易にわかるはずです。それがわからないような五段、六段なら、逆にこれから先何年修行を続けても無意味かもしれません。「生涯修行の意味がわからないようなやつは、拳法なんかやめちまえ《と言いたいですね。この意味については、今日の最後にお話させていただきます。

5、 弱いものへの慈悲

 さて、今まで強さについてお話してきました。
人間誰でも強くなければならないのでしょうか。強くなろうとしない人間は価値がないのでしょうか。
当然、そんなことはありませんね。人間誰でも、ダーマの分霊を身に受けたかけがえのない命を生きています。いきとしいけるものは全て、必要だから生かされているのです。
確かに、身体が弱い人はいます。心が弱い人もいます。生物多様性の原則を持ち出すまでもなく、生きとし生けるもの全てがあるがままに生きてはじめて意味があるのです。力の強い人は弱い人を助け、金のある人が貧しい人を助け、頭の強い人が凡人を助け、みんなが助け合って生きているのです。みんなが自分の得意分野でそれぞれ貢献しているのです。
私たちが、強くて賢い人になろうと修行しているのであれば、社会への当然の貢献として、弱いものを慈しみ助けることが大切ですね。

6、 やさしさは感性

弱いものへの慈悲ややさしさは、その人が持つ感性から生まれます。花を見てきれいだと思う心、戦争に対して悲しく可愛そうだと思う心、要は、他のものにどれだけ愛情を注ぎ、自分のこととして感じることができるかどうかです。そんな感性は、多くの経験や体験を通して感じることそして考えることでしか養うことができません。見ても心がそこになければ見えませんし、触れても感じることができないでしょう。あらゆることに興味を持って、積極的に関わっていくことが大切ですね。愛情を持って心の底から無償の愛を発揮する活動、つまり他人への奉仕を続けるということは、感謝される喜び、与えさせていただく喜びを積み重ねることであると同時に、自らの感性を磨く修行でもあるのです。

7、 勇気と蛮勇

慈しむ心や優しさ愛情などによって、居ても立ってもいられず何とかしてあげたいと思う気持ちから、使命感が突き動かされ、行動を起こすことがあります。そんな気持ちを行動に移すときの力を、私たち拳士は少林寺拳法を通して培っているわけですが、そんなときに皆さんに一番考えてもらいたいのは、勇気と蛮勇の違いです。
今回のイラク事件にもいえることだと思いますが、危険を感じたときに、どう対処するかがプロと素人との最大の違いです。危険な場所に赴こうという人は誰でも、危機管理意識をもっていると思います。彼らもイラクへの出発が危険であると認識されていたようですね。危険があると認識したときに、プロの場合は、いかにしてその危険から身を守るかということについて慎重に作戦を立て、普段の訓練で培われた自信と勇気と力によって可能な限り最大限の安全を確保しながら遂行するわけですが、素人の場合には、危険だとわかっていても、それに対処するための作戦も能力もないままに、危険の中に飛び込んでいくことがほとんどだと思うのです。
少林寺拳法では、あらゆる場面を想定して法形の演錬を行っています。そんな日ごろの訓練があるからこそ、いざというときに自信と勇気と力を持って対処することができるのですよね。
よく言われることですが、正義と悪を戦わせれば、そのままでは悪のほうが強いものです。なぜなら、悪いことをしようとするものは一般的に、そのための戦略と戦術と戦技をあらかじめ考えてから行動に移すものですが、何も準備のないままに突然襲われた正義のほうは、考える余裕もなくその場で対処しなければならないわけですから、当然練りに練った作戦をもっているほうが有利になりますよね。正義の勇者になろうとするならば、普段から、あらゆる可能性を考慮して、それに対処する戦略と戦術と戦技の三要を考え抜き、訓練をして、いつでもどんな場合にでも対処できるように備えていなければならないわけです。
先日、どこかの学校のグランドに竜巻が起こり、サッカーの練習をしていた子供や指導者たちが立ちすくんでいる映像がニュースで流れました。子供たちを避難させるでもなく、安全対策を講じるでもなく、ただ立ち尽くしている指導者と子供たちを見て、強さと優しさと賢さの大切さ、いざというときに正しく判断し行動できる力と、身をもって子供たちを守り抜く愛情、そういうものを普段から身につける訓練をしていないと、何もできないということを見せ付けられました。
イラクの事件では、米軍によって迂回を命じられた先で、地元の人から危険だから戻るように言われ、付近のガスステーションで給油をしている間、彼らのうちの一人が地元の子供と遊んでいるところを、捕らえられてしまったようですね。まともな戦略をもっていれば、そんな危険なところで給油する、ましてや何の警備もなしで、車の外に出て子供と遊ぶなどということは考えられないですね。危険だとわかっていても、それに対する作戦や能力なしに飛び込んでいくことは、蛮勇以外のなにものでもありません。皆さんには、命や尊厳に対するこだわりを持ち続けていただき、自他共に命と尊厳を守りぬく執念を持って欲しいと思います。今回の事件では、命を傷つけられることなく帰国できましたが、多くの人の力があったとはいえ、被害者の側から見ればたまたま偶然に助かったわけです。
命や尊厳を偶然の成り行きに任せることなく、自らの力で守りぬく強い意志を持っていただきたいと思います。皆さんは、多少の力を身につけています。そして勇気も自信も行動力もついてきたでしょう。正義感が強いわけですから、ついつい危険を顧みず飛び込んでしまいがちだと思うのです。けれどもよく考えてください。
開祖は、決断の人だと思われていますが、あらゆることを考えて、絶対に負けないと思ったときにしか行動しなかったそうです。孫氏の兵法にこういう言葉があります。「古のいわゆる善く戦うものは、勝ち易きに勝つものなり。故に善く戦うものの勝つや、智吊もなく、勇功もなし。故にその戦い勝ちてたがわず。たがわざるものは、その勝ちを措くところ、既に敗るる者に勝てばなり。故に善く戦うものは上敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。この故に勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む。《
「力の伴わざる正義は無力なり、正義の伴わざる力は暴力なり。《この言葉をしっかりと肝に銘じて三要を練って行動に移していただきたいと切に願います。自分と他人の命と尊厳には、決してあきらめず、こだわり続けてくださいね。

8、 金剛禅門信徒の目指すべき力愛上二

 さて、「生涯修行をする意味がわからなければ、拳法なんかやめちまえ《と言うことを先ほどお話しましたが、最後にその意味を述べたいと思います。教範には、「一見対立し相反すると見られるものが、それぞれの特性を生かしながら調和したときにこそ万物が生成化育する神秘力が発現し絶対平和の理想境が生まれる《と述べられています。表卍と裏卍が示す「天地陰陽和合諸法無我《の境地、調和し統一された世界こそが金剛禅で言う「力愛上二《なのです。
 「力愛上二《の崇高な調和の思想にもとづいて、他者への奉仕を続けていくことによって、感謝され、信頼され、尊敬される、徳ある人間に成長できるのだと思いますし、他者との絆を結び幸せを味わうことができるのだと思います。いきとしいけるもの全てへの深い愛情を持って理想の社会に近づけようと自ら努力する。これこそが生涯修行を続けなければならない本当の意味であり、薄っぺらな力の獲得を目的にしていない金剛禅の素晴らしさなのです。
 ダーマの分霊を身に受けて生かされて生きている以上、生涯修行を続け、そんな生き方をしつつ、理想境建設に邁進していきましょうね。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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