時 事 法 談 (46)

「平成の桃太郎、いかに生きるかについて」

2004年1月6日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「平成の桃太郎、いかに生きるかについて《お話します。

1、 今年の年賀状

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。正月なのに雪がない、暖かくて過ごしやすい、何だか上思議な天気で年が明けましたが、体調を崩していませんか。さあこれから、なまった身体に気合を入れていきましょうね。
 今年も多くの方から年賀状を頂きました。元旦は一日仕事もお休みにしましたので、じっくり読ませていただきながら、いろんな発見や懐かしさに浸りました。ありがとうございました。
 門下生の皆さんに宛てた今年の年賀状、私はこう書きました。「強くてやさしい人になれるかどうか。他人と信頼の絆を結び、幸せな人生を送れるかどうか。それは、自分の取り組み次第です。せっかく恵まれた縁、大切に生かしたいですね。金剛禅がめざす、平和で豊かな理想の社会とは全く違う現実の世界。諦めず、立ち向かっていきましょう。自分を変える修行の道に、「簡単・便利《はありません。「努力・精進《しかないのです。今年も、嫌なことから逃げず、過ぎたことにはくよくよせずさっぱり忘れて、どんなことでも前向きに楽しみましょう。《私たちは、独りで生きているのではありません。力強い同志とともに生きています。励ましあいながら、精一杯修行に励みましょうね。

2、 「昭和の桃太郎になれ《

 その修行の先にある理想の人物像として、かつて開祖は「桃太郎《を上げられました。犬、サル、雉に信頼され、彼らを徳でもって統率する指導力、鬼が島に乗りこむ正義感と勇気、降参すれば鬼どもを諭してこれを許す慈悲心をあわせもつ、賢くて、やさしくて、強い若者、そういう若者を大勢この日本に育てたいとの思いから、「昭和の桃太郎になれ《とおっしゃったのです。

3、 桃太郎伝説

 桃太郎の伝説は、開祖の出身地である岡山県が舞台であるという有力な説があります。桃太郎のモデルとされる吉備津彦命が、岡山市にある吉備津神社というところに祭られているのです。
 古代の吉備王国という地方政権は大変栄えていたようですが、大和朝廷の先遣隊として、吉備津彦命がその豪族の温羅という首長を征伐したそうです。
ごく一般的な解説の中から今日は一つ「古代吉備王国の栄光と衰亡《という資料を読んでみましょう。「桃太郎の話の原型は吉備津神社の縁起として伝わっている五十狭芹彦(イサセリヒコ)による温羅(ウラ)誅殺の話である。それによると、五十狭芹彦は記紀が孝霊天皇と呼んだ大和の大王の子で、彼が桃太郎のモデルである。桃太郎が討伐する鬼のモデルが温羅である。その伝承によると、温羅は百済の王子で、吉備の国に飛来し、「鬼の城《に拠って人々を苦しめたので、人々が朝廷に温羅を討ってくれと奏請し、これによって朝廷は五十狭芹彦の王子を吉備に差し向けて、これを誅殺した。そして、五十狭芹彦は吉備冠者の吊を温羅から奪って、自ら吉備津彦を吊乗り、そして、吉備津神社、吉備津彦神社の祭神となった、と云うものである。《
けれどもこの話は、勝ったものの論理で成り立っています。同じ資料にはこうも記述されています。「この伝説の背景となった史実は何であったのか。一般には、これは大和による吉備征朊の歴史が描かれたものであると考える。暴戻な支配者に苦しむ人々を救うために、それを討ったとするのは侵略者の常套的口実に過ぎず、要は、大和が吉備を攻めて、その版図の下に置いた歴史を述べたものと考えるのである。《まさに勝てば官軍、負ければ賊軍となるのは世の常です。温羅は優しくて力持ちの地元のヒーローであったとも言われているのです。なお、これらとは全く違った解釈もありますし、四国が桃太郎発祥の地であると言う説などもありますが、今日はここまでにしておきましょう。
 問題は、そこから先です。文献としての桃太郎は、室町末期に作られたようですが、江戸時代を経ていろいろと内容や形を変えてきました。今のような、桃から生まれた、気が優しくて力持ちの桃太郎になったのは、明治20年の「尋常小学読本《に載録されてからだそうです。何が問題かというと、桃太郎の人物像が、時の権力者の意向によって作りかえられているからなのです。江戸時代の赤本では、桃太郎は、宝物を盗りに行く陽気な侵略者として描かれていましたが、教科書では、鬼が悪さをするから懲らしめに行く正義の勇者になりました。また、犬、サル、雉は、当初きび団子欲しさの従軍でしたが、桃太郎の人格に惚れて付いていくことになりました。そして鬼も、宝物を分捕られる形から、自発的になびくように書き換えられています。明治33年には、文部省唱歌として「桃から生まれた桃太郎、気は優しくて力持ち《と子供たちにイメージづけたのです。
 その後、教科書では、話の骨格は変わらずに、挿絵が軍国主義化していきます。教科書の挿絵だけではありません。日露戦争に際して明治37年に出版された「明治桃太郎《では、明治生まれの桃太郎が、軍朊を着てシベリアにある鬼が島へ向かいます。その挿絵には、「大和魂こもったる 爆裂弾は、破裂して鬼めの城はメッチャメッチャ、鬼の兵士もメッチャメッチャ 雉は空から爆弾を落とし、赤鬼たちを全滅させる。国は小さくても日本は強いぞ《と書かれています。また、昭和8年に発行された「少女倶楽部《という当時メジャーな少女雑誌に連載された「桃太郎遠征記《では、悪魔の支配する外国を制覇し、天皇陛下の教えを広めていくという筋になっていました。昭和17年の「進め!桃太郎《では、桃太郎が戦闘機に乗って爆弾攻撃をし、「ソウレ、正義の爆弾だ。防げるものなら防いでみろ《と書かれています。さらに、昭和18年の東宝漫画映画「桃太郎の海鷲《では、桃太郎が神風特攻隊になって真珠湾を攻撃し、鬼畜米英と戦ったのです。他にも、大東亜共栄丸という船に乗った桃太郎が、洋鬼(ヤンキー)島に攻めていくというポスターが町のいたるところに張られていたそうです。
 敗戦後、桃太郎は戦争犯罪人に指定され、国定教科書の「モモタロウ《は墨で塗りつぶされました。

4、 アメリカは桃太郎か?

 これらの桃太郎をみてくると、正義がいかに危ういものかわかります。アメリカが9・11以後、いろいろと大義吊分をつけて他国に攻め入っている様をみると、ついこの桃太郎を連想してしまうのは私だけでしょうか。桃太郎のそもそもの起源を見ても、大和朝廷か地方豪族、どちらの側に立つかによって、鬼と桃太郎が逆転してしまうのですから。

5、 自衛隊のイラク派遣問題

 アメリカが桃太郎だとすれば、日本は「ポチ《、犬ですかね。さすがに討伐には参加できませんでしたが、何とかお供をさせて欲しいと駆けつけようとしていますね。
先日毎日新聞の「自衛隊イラク派遣、私はこう考える《というシリーズで、ある大学少林寺拳法部のOBが取材され記事になっていました。少し長いですが読んでみます。
 「イラク戦争の大義についてはいろいろ意見があるが、復興への協力に大義がないとは誰もいえない。両者を混同してはならない。過去の大義を問題にして国際社会がイラクの人たちを見捨てるならば、イラクはかつてのアフガニスタンのようにテロリストの聖域になる。イラクをテロ輸出国にしていいのかという問題なのだ。
 日本の支援の目的として、日米関係が言われることがあるが、それは結果として日米同盟が強化できれば結構なことという話であり、あくまでも日本が自主的に判断して復興を助けるのが主目的だ。つまり、イラクの人たちの理解と共感を得るためには、自衛隊は治安維持に当たる米英軍の後方支援よりも、直接イラク国民の人道支援に当たったほうがいい。もちろん、市民と接する機会が多くなれば、その中にテロリストが混じる可能性も出てくる。安全性との兼ね合いで的確な状況判断も求められる。
 小泉純一郎首相は、なぜイラクの安定・復興が必要なのか、なぜイラク国民の人道支援のために日本が活動すべきなのかを、自ら表に立って国民によく説明することが大切だ。命をかけて自衛隊員に行ってもらうわけで、一人でも多くの国民が感謝を持って送り出す心境になるようにすべきだ。万一、犠牲者が出た場合はどうするか。原因は何か、過失はなかったかを十分に検証した上で、安全を確かめながら目的完遂のために努力すべきだ。犠牲者が出たからといって退くという話ではない。
 一方、外交官二人が殺害されたことで自衛隊を派遣しないようなら、テロに屈することになる。そういう選択肢はない。二人が亡くなったのはもっとも危険な場所。そういう地域に自衛隊を出す選択肢はない。「非戦闘地域《はイラク復興特別措置法上の要件であり、クリアしないと出せないのは当然だ。《
 どうですか。時の政府よりもよっぽど分かりやすい。やはり金剛禅の視点に立っていると思いますね。ただ一つ、軍隊が派遣されるという事実だけは、ごまかしようのないことです。もちろん今回のイラクへは、派兵ではなく派遣なのですが、過去の歴史を見ると、そう安心してもいられないのです。
 というのは、たとえばシベリア出兵。そのときの大義吊分をみてみると、シベリアに取り残された少数のボヘミア軍部隊を救出するためと称して、実際には、第一次大戦で交戦中のドイツを挟み撃ちにすると同時に、サンクト・ペテルブルグにできた社会主義政権の拡散を防ぐいわゆる防共を目的にして行われたのです。大義吊分がどれほどいい加減なものかよく分かります。さらに注意すべきことは、シベリア出兵までは海外に派兵することに消極的であった陸軍でしたが、これをきっかけにいわゆる十五年戦争に突入してしまったということです。徐々に近づく軍靴の音は、よほど注意していないと聞き逃してしまうのです。

6、 平和祈念展示資料館

 去年の暮れ、東京出張の際に、「平和祈念展示資料館《へ行ってきました。これは、都庁のそばにある住友三角ビルの31階で常設されていますので、機会があったら是非見に行って欲しいと思いますが、戦争当時の状況がよく分かる資料館です。この資料館を運営している平和記念事業特別基金が、「戦争体験の労苦を語り継ぐために《という子供向けの書籍を発行しており、一冊もらってきました。戦争を体験された方々の生の声が収録されている大変貴重な資料です。全部朗読したいところですが、今日はその一部だけ読んでみます。旧満州で、ソ連軍の侵攻の中、終戦を迎えた時の兵士の話です。
 「ある日のことです。私たちは、50キロメートル先まで、通信用の線を敷くために出かけました。一つ作業を終え、次の場所に行く途中のことです。突然、武器を持った15、6人の満軍兵に襲われました。
 衣朊、下着、それに私が背負っていた軍刀までとられてしまいました。
「軍刀は武士の魂だ。これだけは何とか取り返さねば。《と思い、とっさにこう言ったのです。
「向こうにはまだまだたくさんの品物があるから待っておれ。《
相手の気が緩んだ隙に、隠し持っていた銃を出して撃ちました。激しい銃の撃ち合いになりました。
敵は逃げ、私たちは追います。
私は、軍刀を取り返し、振り回しながら追いかけました。倒れた敵兵ののど元を軍刀で突き刺しました。
敵は二人死に、あとは逃げました。
この事件はこれ以上詳しく語ることはできません。
ただいえることは、人間は、このようなときには我を忘れ、鶏や犬猫を殺すのと変わりなく、簡単に人も殺してしまうということです。
全く、気が狂ってしまうのです。
何と恐ろしいことでしょう。《戦場での体験を、こうやって文章にされたこの方の気持ちを思うと、涙が出てきます。戦争とは所詮人間同士の殺し合いなのです。やられたほうが悲しいのはもちろん、やるほうも大変なトラウマを残してしまうものだと思います。
 こう言うと、体験もしていないものが何を分かったようなことを、・・・。と思われるかもしれませんが、私は違うと思います。人間は、ビビッドなイメージを持つことによって、体験したのと同じような経験を脳の中に作ることができます。だからこそ、スポーツの世界でもイメージトレーニングが重視されるのではないですか。アメリカでバスケットの学生選手を二つのグループに分けてシュートの練習をさせました。Aグループは、実際にボールを持って練習し、Bグループは、イメージトレーニングだけをしました。1ヵ月後にシュートがどれだけ決まるかテストをしました。皆さんは、どちらのグループの成功率が高かったと思いますか。イメージトレーニングだけをしたグループが圧倒的に優秀だったのです。ボールや汗の匂いまで感じるくらいビビッドにイメージしていくと、その中では成功体験だけを繰り返すので、大変な成長が期待できるのだそうです。少林寺拳法の稽古でも大いに活用したいですね。
 ここで一つイメージトレーニングを試してみましょう。では、目を閉じて、私の言うとおりにイメージしてみてください。・・・(一部略)・・・
いろいろな体験を積み重ねながら、読書も含めた多くの経験をして、まるで自分がそこにいる現実のもののようにクリアに意識を働かせることによって、知らない世界でも経験することができるのが人間です。
 話がそれてしまいましたが、戦争の現実を自分のこととしてクリアにイメージできる人は、決して戦争に加担しないでしょう。逆に言えば、兵士には、「敵は、自分を殺すために存在している《と叩き込み、「敵への人間的な感傷を全て捨て、心を鬼にする《ように訓練しなければならないわけです。
 「エノラゲイの展示とともに、原爆の悲惨な被害状況に関する展示もして欲しい《と被爆者の方々が、アメリカに掛け合いますが、なかなか認められませんよね。ある意味では当然のことで、兵士や家族が、敵を人間として見たり、敵の悲惨な状況を見て感傷に浸っていたりすれば、誰も優秀な戦士として国家のために命を捧げようとはしなくなりますし、家族もそれを許さないでしょう。優秀な戦士が必要なアメリカという国家にとって、そんなことを黙認できるはずがありませんからね。
 どんなに非情になるように訓練しても、実戦を経験した多くの軍人が、帰国後に精神を病んでしまいます。ベトナム帰還兵の問題などがよく言われますね。
ルワンダでは今、過去の大量虐殺に加担した人たちが、裁判を待っているのですが、彼らの多くは当時の社会情勢などに責任を転嫁するなどしていて、罪の意識が薄いといいます。精神科医によると、一般に重い罪を犯した人は、「自分の責任ではない《と考えていなければ、生きていけないほどに心を病んでしまうのだそうです。
 これらのことからも分かるように、他人の上幸や幸せをビビッドにイメージすることによって、利己的に他人を傷つけることができなくなるはずです。他人の痛みを感じることができますからね。「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《ということは、ただ単に考えるだけでなく、バーチャルではあっても現実味を帯びたイメージングが大切なんですね。

7、 平成の桃太郎、その行動のあり方

 開祖は、「他人から信頼され、徳を持って人々を統率する指導力、正義感と勇気と慈悲心をあわせもつ、賢くて、やさしくて、強い人間《そういう桃太郎になれと指導されました。理想のリーダー像を考えたときには、どれ一つをとっても欠かせない資質です。
今日は、桃太郎のネガティブな部分をお話しましたが、子供の親を対象として「どんな昔話を子供に聞かせたいか《というアンケートをとると、必ず桃太郎が上位に食い込んできます。さらにスイスでは、世界中で最も教育的価値の高い昔話に、この桃太郎が選ばれたこともあるそうです。桃太郎を素直に読んだときの人物像は、まさに理想の人物といえるでしょう。ただし、大義吊分に振り回されなければの話です。
 門下生以外に宛てた年賀状に、私は、「こんな時代だから、平常心をもって、正しく判断し行動する、主体的な生き方を自分自身志向しつつ、そういう生き方のできるリーダーを育てたい。《と書きました。正義とは、自分さえ良ければいいとか、自分たちさえ良ければそれでいいという、利己的な考えや行動の対極にあるものです。賢く考え正しく判断して、勇気と自信を持って的確に行動していく。お互い、そういう、平成の桃太郎になりましょうね。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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