時 事 法 談 (45)

「誇り高い生き方について」

2003年12月2日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「誇り高い生き方について《お話します。

1、 結婚式・披露宴の報告

 ご臨席された拳士もいらっしゃいますが、同門の同志作園拳士と花世拳士が、去る11月23日にホテル鹿角でめでたく結婚式を挙げられました。
お二人とも法衣を着用して金剛禅式の結婚式を厳かに挙げられたあと、アットホームでほほえましい披露宴が催されました。多くの皆さんには、式のスタッフとして、また披露宴での演武や余興と、本当に奔走いただきました。ありがとうございました。
本来結婚式というのは、それぞれの宗旨に従って、その信じるものに対し永久の愛を誓うという儀式ですが、一般には、ファッションで選ぶ傾向がありますよね。そんな中で、三宝に帰依し、ダーマを信仰する二人が、そのダーマと祖先のみたまに固く誓ったということは、人の霊止たる自らの魂と、連綿と続く自らの命に誓ったことであり、とても深い意味があるわけです。司婚者を務めさせていただいた私も、自分自身の結婚式以上に身が引き締まる思いで、かなり緊張しました。
お二人には披露宴でも申し上げましたが、与える愛、尽くす愛、捧げる愛を持って、これからの人生を歩いていただきたいと思います。

2、 真実の愛

 自分が欲するものを手に入れることは、とてもうれしいことです。でも、他の人からそれを差し出されることはもっとうれしいですね。それにもまして、何よりうれしいのは、相手にしてあげたことを喜んでもらえることです。してあげるというよりも、させていただく喜びがそこにあるのですね。その思いこそが、慈悲であり、愛なのです。相手のためにすることが、自分のためにもなるわけですから、させていただくという感覚、これはとても大切な思いです。
打算で、自分のためになるから相手のためにするのではありません。結果として自分のためになるのです。計算づくでするのとは、大きく異なりますよ。
とはいえ人間、なかなか他人のために生きることは難しいですよね。ついつい、「自分さえ良ければ《という思いが頭をもたげてくるわけです。
自分の欲望のためでなく、素直な気持ちで他の人の喜びを自分の喜びとする、まるで聖人のようなこと。そんなことできないと思うかもしれませんが、実は誰でも必ずやっていた時期があるのです。それは、赤ちゃんですです。生後すぐから人見知りするまでの間、赤ちゃんはどんな生活をしているでしょう。お腹がすけば、泣いておっぱいを欲しがりますが、お腹が一杯になれば、すやすやと眠ります。オムツが汚れれば、やはり泣くわけですが、交換してもらえば、すっかり笑顔を取り戻します。本能的な欲求が満足されると、決していつまでもめそめそしてはいませんよね。おやつをたくさんもらった時、赤ちゃんは「あげる《といって、他の人に全部配って廻ったりしますね。自分の分がなくなってしまってはじめて、「あれっ《という顔をしますが、もらった人の笑顔を見て、その赤ちゃんも笑ってくれます。人の喜ぶ姿を素直に喜んでいるわけです。
赤ちゃんのそういう執着しない純粋な気持ちも、人見知りするようになると無くなっていきます。「この人は自分の味方か《、あるいは「メリットがあるか《という判断が加わってくるのです。そうしているうちに、いつの間にか人間は「自分さえ良ければいい《という狭い了見に支配されるようになっていくわけです。
けれども成長して大人になり親になったとき、優れた愛の具現者である赤ちゃんの姿に接して、自らを反省することによって生き方を見直すことができます。赤ちゃんの純粋な、条件なしの愛に触れることによって、親自らもそうなろうと努力することができるわけですね。それこそが、子供によって親にさせていただくということなのだと思います。
ところが、最近では子供から学ぶどころか、子供に対してもわがままを通そうとする親が増えてきています。最近の悲しい事件は、どれもこれもあまりにも親が幼すぎます。

3、 誇り高い生き方

 開祖は、人道を尽くすことによって、誇り高い生き方ができると道訓にまとめられました。「自分さえ良ければいい《というわがままな生き方で「仁、義、忠、孝、礼《を尽くさなければ、心は既に死んでいると説かれたのです。
「人道《、人の道とは、他の人といかに付き合っていくか、他の人をいかに大切にするか、そして、他の人のためにどれだけ尽くせるかということになります。要するに、赤ちゃんの頃の心を思い出して、執着せずに他の人の喜びを自分の喜びとする生き方が、誇り高い生き方なのです。そのように生きれば、結果的に自分の幸せにつながると教えられているわけですね。

4、 頑張ること・我慢すること・諦めないこと

 ところが最近は、他人の幸せを願うどころか、自分自身を大切にすることもできない人が増えています。まあ、自分を大切にできないから他人をも大切にできないわけですけれども。
 自分を大切にするというのは、ただ、自分自身を猫かわいがりするということではありません。自分で自分を諦めないこと、ダーマを信じ自らの可能性を信じて、どこまでも努力すること、七難八苦を我慢し乗り越えること、そういう生き方をして自分の質を高め、自分で自分を頼りにできるようにすることです。そして、誇り高い生き方から生まれる徳を養って、他の人から信頼される生き方をすることこそが、自分を大切にするということだと思うのです。わがまま放題にしている、タトゥーの彼女たちを見て自分を大切にしているとは誰も思わないでしょう。自立できていない子供たちを指導し育てるのは、大人の役目です。他律から自律へ、そして自立へと導くことが教育ではないでしょうか。彼女たちは、やがて、社会から相手にされなくなるでしょうが、それは彼女たちを教育できない、周りの大人の責任と言ってもいいと思いますね。
 最近の日本の教育は、ゆとりと言ったり、個性と言ったり、いろいろな言い方をしますが、極論すれば、諦めずに頑張ることを否定しています。自分で自分を鍛えていかなければ、結局は、自分の無い生き方しかできないのです。「他人がするから自分もする《、「他人がしないから自分もしない《という、主体性の無い無気力な人間になってしまうのです。
 私たち金剛禅門信徒は、まず何よりも自分を大切にし、自分の幸せを心から願い自力で努力する、自己確立にむけて主体的に修行する人間でなければなりませんね。

5、 堪え性は愛と信頼から育まれる

 頑張ること、我慢すること、諦めないことは、つまり堪え性です。これらの思いは、自分を本当に大切に思えば、自然についてくるものです。自分を鍛えなければ幸せになれないのですからね。では、自分を本当に大切に思う心はどうやって身につくと思いますか。それは、生まれてから今までに受けた、愛情と信頼によって作られます。親から受けた無条件の愛、親への絶対の信頼。それが、自分の存在価値を自分で発見し確信させるのです。自分は愛されている、守られているという思いが、自分を大切にする心を育みます。そして、自ら努力し諦めない堪え性を磨いていくのです。

6、 人づくりの基本としての力愛上二・剛柔一体

 そういう堪え性のある子供に育てる、また誇り高く生きる人間に育てるための基本は、家庭の教育においても、また道場の指導においても、力愛上二です。
子供に接するときに一番大切なのは、愛をもって接するということです。しかもその愛は、無条件の愛、慈悲でなければいけません。頭がいいから可愛いとか、技が良くできるから目を掛けるとか、そういう条件付のものではないのです。条件がついたときには、子供を見ているようでいて、実は自分自身のエゴを追及しているわけです。自分にとって都合がいいかどうかだけで行動するようなエゴを、親や指導者は持ってはいけませんね。どんな時にも、捧げる愛を持ち続けることが教育の必要条件です。
その上で、何としてでもこの子を誇り高く生きる徳のある人間に育てようという信念と行動力が必要です。この力は理智であり情熱です。どんなに情熱があっても暴力ではいけません。理性的に智慧を持って長い目で導いていかなければならないのです。手を出すことばかりが暴力ではありませんよ。言葉の暴力によってどれほどの子供が道を踏み外すか、心しなければなりませんね。本心とは裏腹なことを言って、発奮させようとしても、パワハラ状況では相手に伝わりません。言葉を額面どおりに受け取られてしまうものです。「こんなに言っても分からないなら、出て行け!《などと言えば、本当に嫌われている、捨てられると思われてしまいますからね。
そして、どう接するかという点では、剛柔一体が大切です。威厳を持って、けれども柔らかく、適時適切に指導していかなければなりません。

7、 人づくりのポイントとしてのダーマ信仰・上撓上屈

 さらにどうしたら誇り高い生き方に目覚めるかというポイントは、ダーマ信仰です。自分はかけがえのない命を授けられ、ダーマの分霊を身に受けて、自分の幸せ追求だけでなく、世のため他人のために生きていくという使命感を見出すことが何よりも大切です。
 その上で、達磨の教えである上撓上屈の精神を養うことによって、自己確立と自他共楽の生涯修行に邁進し、平和で豊かな理想社会実現に向けた努力をする誇り高い生き方が身につくのだと思います。

8、 誇り高い生き方に導く少年部指導の要点

 これらのことは、道場での指導や家庭での教育はもちろん、職場などでの人材育成にも当てはまります。無限の愛と適切な方向性を持つ力によって、人を育てて欲しいと思います。また、もっと言えば、自分自身を育てるということでもあります。自分への愛、自分への動機付け、主体的に自主的に自らを成長させていくことが大切ですね。最近、禅林学園が「一億総リーダー論《を提唱していますが、まずは、自分が自分自身のリーダーになることから始めましょう。見習の拳士も、中学生も高校生も、そういうとらえ方で今日の話をもう一度整理してみてくださいね。
 さてそれでは、具体的な道場での少年部指導について少しお話します。
 子供を育てるためには、その発達段階に応じて指導法を変えなければなりません。厳しく統制し躾けていかなければならない時期と、まるで三蔵法師が孫悟空に接するように、掌で遊ばせると言うか保護監督しながら自由にさせなければならない時期があるわけです。もちろん、どちらの時期も厳しいだけでもいけませんし、自由なだけでもいけませんが、比較的そちらのほうへ振り子を振る必要があると言うことです。
 具体的に子供の成長段階を追って考えて見ましょう。
 当然のことですが、胎児の間は、自由もへったくれもありません。親が自らを厳しく律して子供の環境を守ってあげなければいけません。子供と母親は一心同体ですが、父親も同じ責任を負いますね。
 生まれてから1歳頃までの間は、赤ちゃんの欲するままにしてあげる必要があります。完全な自由の時期です。もちろん、完全な保護監督も必要ですね。口で言うほど自由にさせると言うのはたやすいことではありませんよね。まして母親の肉体的精神的疲労は頂点に達するでしょう。けれども先ほどお話したように、この時期に親は、赤ちゃんの無限の愛を感じて、また同じように無限の愛を赤ちゃんに向けるという体験ができる最高のときでもあるわけです。
 次にやってくる離乳から3歳くらいまでの間が、最初の躾けの時期、統制の時期になります。三つ子の魂百までと言われるように、もっとも肝心な躾けの時期であるわけです。深い愛情で、温かく見守りながら、言葉や生活態度などを躾けていかなければなりません。何度失敗しても、焦らず長い目で見てあげることで、やればできると言う体験を積み重ねていくことになるわけですね。
 そして第一次反抗期、幼稚園の頃でしょうか。反抗すると言うのは、独立心の芽生えです。その心を育ててあげるために、自由にさせることが大切です。ここで過保護にして何でもやってあげてしまうと、他人だよりの性格になってしまいます。
 小学校時代は、正しい価値観や人道を教える最も重要な時期です。道場では少年部の子供たちですね。つまり、少年部では、しっかりと生き方を教えていかなければなりません。それも、学科や法話だけではなく、技術を通して、上撓上屈の精神を養いつつ、他人と協調し、協力して楽しく生きるということを教えていかなければ、少林寺に少年部のある意味がないですよね。一般拳士の皆さんは、有段者だけでなく、全員に7時半から8時までの間子供と接していただいています。毎日の稽古の中で、ほんの一言、ちょっとした動作、それだけで構いませんから、子供の心に残る指導を心がけていただければと思います。ご自分が徳ある生き方、誇り高き生き方をして、そんな生き方を背中で表現していただければ、最高の指導になると思います。自由に楽しみながらも、きっちりと生きる道を教える、そういう場にするためのお力添えをお願いしますね。毎日のそういう心がけが、ひいては皆さん自身の人生に必ずプラスになると思います。
 有段者の皆さんには、具体的な指導をお願いしているわけですが、今後少年部科目表を有効に活用していきたいと考えています。それぞれの科目ごとに、毎回評価をして、評価に基づいてシールを貼っていこうと思っています。どれだけできるかだけではなく、人間関係の築き方も含めた総体で評価しながら、動機付けを図ろうと考えていますので、よろしくご協力下さい。
 そうそう、少年部を卒業したら、いよいよ中学生です。中学生の時期から第二次反抗期に突入しますね。この時期も自主独立の気概を養う大切なときです。だから、一般部では、強制はしないのですよ。いいですか中学生諸君。その代わり、やる気のある人には、ビシビシ鍛えて、上撓上屈の精神を養ってもらおうと思います。頑張ってくださいね。
 タトゥーに限らず、躾られないままに大きくなった人たちからも、信頼され影響を与えられる、人生の指導者、魂の教師、そんな徳のある人間になれるように、みんなで助け合いながら生涯修行に取り組み、誇り高い生き方をしていきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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