時 事 法 談 (42)

「性格について」

2003年9月2日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「性格について《お話します。

1、 良く整えし己こそ・・・本当に得難い

 金剛禅の修行では、自他共楽に向けた自己確立が求められます。でも聖句にある「良く整えし己《という言葉、深く考えてみるととてつもなく大きな壁に見えてきませんか。なにしろ聖句では「まこと得がたきよるべなり《と結んでいるのですから、めったなことでは手に入れることができないわけです。自己確立への道は果てしなく遠く感じられます。

2、 自分の嫌いな部分を見つめる

 私自身のことを考えてみても、四半世紀以上この道を歩いていますが、当然のことながらまだまだ「得がたきよるべ《を手に入れることができていません。一生かかっても手に入れることはできないでしょう。良く整った己どころか、欠点だらけのどうしようもない自分がここにいるのです。たとえば平常心。気が短くてすぐにカッとなる、情けないことです。余裕がないというか、気が弱いというか、修行が足りませんね。

3、 気質

 自分の子供を見ていて思うのですが、自分のいやな部分、嫌いな部分が子供にしっかり遺伝しています。親から見ると、子供というものは悪いところばかり似ているように感じますよね。やはり遺伝子は嘘をつかないようで、気質といわれる生まれつきの性格は、親子でよく似るものです。なかでも、親自身がいやだなと思っている部分は特に気になるもので、だから悪いところばかり似ていると感じてしまうのでしょうね。
自分自身の嫌な部分に対して、そういう性格だから仕方がないとあきらめたような言い訳をする人がいます。でも、人間は必ず変わることができるものです。子供の頃あれほど弱くて自分の意見を言えなかった私が変われたのですから、間違いありません。実際、今、自分の子供を見ていて「昔の自分はそうだったなあ《と思い出し、「自分も少しは進歩したなあ《と感じることもあります。自分の嫌な部分を素直に見つめ、変えようと決心して努力し続けることによって、必ず変わることができるのです。

4、 メッキ

 開祖は、「メッキでも良いから、剥げないメッキを」と仰いました。生まれつき毛並みが違う純金の人はまずいないでしょうから、せめて自分の努力で金を纏えということです。しかも、ちょっとやそっとのことでは剥げない、純金のような金を纏えとおっしゃったのです。開祖が中国でもらった金時計は、メッキが厚くて金無垢と変わらなかったのだそうですよ。
 金メッキというものは、一般的に真鍮などの素材を洗ってニッケルメッキを施し、さらに洗って金メッキを行います。その後、表面の変色を防ぐためにクリア塗装をして完成します。金メッキは、基本的に0.02ミクロンから1ミクロン程度の厚さに加工するようです。きらびやかな金ピカの仏具などは、0.2ミクロン程度しかないそうです。でも、ちゃんと金メッキをしていれば良いほうで、バンコクの仏具屋さんでは、店で売り出す仏像に金色のラッカーを吹きかけ塗装していましたよ。それらの安物とは対照的に、たとえばダンヒルやデュポンのゴールド・ライターは、3ミクロン以上の金メッキだそうですし、カランダッシュのゴールド・ライターにいたっては10ミクロンの金メッキだそうです。こうなると、ちょっとやそっとで剥げることはないでしょう。やはり、開祖の金時計と同じく、良いものは違うのですね。

5、 環境による性格

 開祖が喩えられたメッキの話は、人の性格について見事に言い当てられています。現代心理学の世界では、性格を4つの層に分類しています。気質と、環境による性格、また社会的性格、そして役割性格です。もって生まれた性格を気質といいますが、これはメッキの世界での素材に当たりますね。あたかも素材にメッキ加工を施していくように、人は新たな性格を形作り、生まれながらの気質を覆っていくのです。努力してメッキ加工を施していくように徳を積み性格を変化させていくのが修行なのです。
 人の性格にとって、もって生まれた気質を覆う最初のメッキは、環境によって施されます。どんな環境で育てられるかが、とても重要な要素となるのです。この時期最も大きな影響を及ぼす環境は、いうまでもなく家庭です。親の役割がどれほど大切かわかりますね。その家庭教育に少しだけ違う角度からのインパクトを与えられるのが、学校であったり道院であったりするわけです。この時期の子供たちにいかに接するか、少年部の拳士とかかわりあう指導者はその責務や使命を自覚しなければなりません。お互いがんばりましょう。もちろん、親であれば誰でもが自分の子供に対して使命感や責任感を持たなければなりません。子供のためにも人類全体のためにも。賢い親になりましょうね。
 平和で豊かな社会を作るという金剛禅の大目的を考えたとき、「全ては人の質《にあるのですから、私たちが進むべき理想境建設の道は、よりよい人間関係“ 絆”を、作り、育て、運ぶという王道しかありません。平和も争いも人が決め人が行うものである以上、人づくりによる理想境建設しかないのです。個人の幸せを考えたときにも、すばらしい人の縁を築くことこそが幸せそのものなのですから。
 そうすると、よりよい人間関係を築くことができるかどうかが重要になってきます。人は誰でもすばらしい可能性を秘めて生まれてきています。かけがえのない尊い存在です。でも、「人付き合い《の得意な人と上得意な人がいることは間違いありません。そんな中で、よりよい人間関係を築けるように金メッキを施していくことが幸せへの第一歩だといえるのです。自らの限りない可能性を磨いて徳のある人に成長していくことで、他人とうまくかかわっていくことができるようになるのです。
 人とのつながりを深め人生を楽しんでいる人たちに囲まれた環境に育てば、きっと「人付き合い《は楽しいものだと知って、「人付き合い《の得意な性格が形作られると思います。私たち金剛禅門信徒は、そんな環境に子供をおいてあげる責務があるのです。
その上で、子供への具体的なかかわり方もじっくり考えなければなりません。大人が子供を常に支配していると、自分のことを自分でできない、自立できない大人になるでしょう。逆に大人が子供に支配され朊従してばかりいると、自分を抑えられず、自律できないままに育つでしょう。放任や拒否ばかりで育てれば、劣等感が強くて反社会的になるでしょうし、過保護は、ひ弱な子供を育てます。
 金剛禅は、「力愛上二《という調和の思想で貫かれています。「力の伴わない正義は無力であり、正義の伴わない力は暴力《なのだから、力と愛は別々のものではなく調和してこそ意義があるという教えですね。子供の環境性格を形成するに当たっても、調和した姿こそが大切なのです。支配も朊従も放任も過保護も、それぞれ別々では存在価値がないものです。あるときには子供を抑え付けまたあるときは自由を与え、あるときは突き放しまたあるときには舐めまわすほどに愛情を注ぐのです。これらの調和した姿が、子供の周囲に展開されていれば、すばらしい環境にあるといえるでしょう。
 ただし、意味もなく時によって態度を変えて、無秩序に抑え付けたり朊従したり、放任したり過保護になったりしたのでは、子供の混乱を招くだけです。内受突を、あるときは表、またあるときは裏、時には、後の先、また違うときには先の先という具合に、その条件を説明することなく教えられたとしたら、全て正しいことではあっても、意味がわからず混乱してしまいますよね。そうではなくて肝心なのは、揺るぎない価値観を持って、対機説法で子供と接することなのです。その時のその子供の言動に対して、ダーマに照らしてどうとらえるかを的確に判断し、対応することです。子供の状況と無関係に自分の教育方針だからといってたとえば常に放任で育てようとすることは、相手が上段の逆突をしてきているのに、自分はいつでも同じ対処をするといって下受蹴を行うのと同じことです。子供の教育は、その子供の環境性格を形作るものであることを心して、怒りと叱りを混乱させず、真剣に子供のために行わなければなりません。

6、 社会的性格

 さて、人は社会によって性格を作り上げられています。社会的性格の顕著な例では、たとえば「よく泣く《ということがあげられます。その傾向は時代により社会によって変わってきます。平安時代の貴族は、自然や芸術に感動して泣かなければ風流がわからないダメな男とみなされたそうです。結果的に女よりも男のほうがよく泣いたようです。でも、その後の武士の時代になると、男が泣くものではないといわれるようになりました。よく言われる「男らしさ《や「女らしさ《がこの社会的性格にあたります。社会によって差別的に強制され拘束される度合いが、その社会のノーマライゼーションにおける成熟度を現しているともいえますね。
 現代日本人の社会的性格は、他人志向と権威主義が顕著だと言われています。他人志向というのは、自己確立ができていないということです。人の顔色を伺って自分の行動を決めるパターンです。これは、日本という特殊な社会がそういう性格を作らせているともいえます。たとえばアメリカのように、自分の意見を言うことが何よりも重視される社会では、他人志向的な性格では生きていけませんからね。ちなみにアメリカなどでは、自他共楽を考えない性格が作られやすいのではないかと思います。次に挙げた権威主義は、たて社会に共通して起こる性格ですね。弱者にはめっぽう強く強者にはおもねる。それがいじめや差別の元凶にもなります。なおつけたしますが、ナチスの犯罪を心理学の面から検証したアイヒマン実験では、ドイツ人や日本人だけでなく、アメリカ人の多くにもこの性格があると証明されています。
 社会がそのグループに属する個人の性格を作り、そのグループに属する個人の性格が社会を作り上げていくのです。だから理想社会を作るためには、幸せな人間関係を築くことのできる人を一人でも増やしていくことが肝心であり、そういう人を育てるために、教団を構成する一人一人が自己確立と自他共楽の修行に励み、教団全体が理想社会を現実のものとなるよう努力して実現させていく必要があるわけです。

7、 役割性格

 役割性格というのは、自分自身がその役割を演じることで築かれる性格です。小学生は小学生らしく、お母さんはお母さんらしく、フリーターはフリーターらしく、社長は社長らしく、先生は先生らしくなるのです。同じ人間でも、子供の前では父親らしく、先輩の前では後輩らしく振舞います。その時々の役割に応じた性格を演じるのです。
 役割性格の上での「らしさ《は、仕事や立場を特徴付けるものです。たとえば五つ星ホテルのホテル・マンがホテル・マンらしくなくボーッとしていたら、そのホテルの評価は一気に下がりますよね。立場に見合った「らしさ《を身につけることはとても重要なことなのです。役割性格というのは自分の役割を自覚したとき自然に身につくものです。ですから、自ら積極的に役割を買って出ることで自分を成長させることができます。人前で話すことができなかった人も、指導者として話しをするようになると、それなりの話ができるようになりますし、指導者としての雰囲気もついてくるでしょう。昇段も同じことです。自分を高いレベルに持ち上げる努力をすることで、そのレベルの実力がつくのです。社会のリーダーを作ろうとしている金剛禅では、自分から進んでリーダーとしての役割を発揮することが、大きな成果につながることを理解してください。どうしようもないほど弱かった私も、いろいろな役割を長い間演じているうちに、徐々にですが確実に変わってきています。今後も少しでも頼りにできる自分になれるよう、日々努力します。
 仕事のできる人は、常に120%から150%の仕事を自分に課しているといいます。その仕事をこなす役割を演じているうちに、それが当たり前になってきます。そうなったときにはさらにその力の150%を目指すわけです。自分の能力の100%を目指したりましてや80%程度でとどめていたりすれば、必ず能力も落ちていくものです。自らを高めようとするならば、高まった能力に見合った役割を演じ続けましょう。

8、 人の霊止たる我の認識

 メッキは、誰かに加工してもらうものではありません。自分が自覚し、変わろうと意識し、進んでそういう役割を演じ続けることによって、自然と厚く施されていくものなのです。
 開祖に憧れ開祖のようになりたいと思い続け、努力し続ければ、いつかは開祖のような人になれると信じて努力しましょう。その努力の程度がメッキの厚さを決めます。私たちは、どうしようもないほど弱い存在だと自覚しつつ、ダーマの分霊を受けた優れた人間であることも認識して、お互い、自分の無限の可能性を磨いていきましょう。やがては、後輩から「あの人のようになりたい《と思われる人間になりましょう。生涯かけて「まこと得がたきよるべ《に少しずつ近づけるように修行に励みましょうね。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

 ご意見・ご感想は大館三ノ丸道院長、または大館三ノ丸支部ホームページの「拳士のひろば《へお願いします。