時 事 法 談 (41)

「開祖デーと県大会について」

2003年8月5日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「開祖デーと県大会について《お話します。

1、 県大会の反省会

 もう、大分日がたってしまいましたが、秋田県大会では本当にいろいろとありがとうございました。皆さんのスタッフとしての働きが、あの大会を見事に成功に導いたものと、心から感謝申し上げます。 時間が経って忘れてしまった点もあるとは思いますが、ここで、支部としての反省会を行いたいと思います。それぞれに気づいたところなどありましたら、発表してください。 大会全体を通しては、拳禅一如の修行により自他共楽を目指すという少林寺拳法のあり方を表現するための仕掛けが、うまく機能したのではないかと思っています。また、競技の面では、部分的には問題もありましたが、絶対評価を取り入れて個人の修行の成果が賞に直結する形も整いました。今後は、審判も出場拳士もともにレベルを上げて、満足行く競技の形が作れるようになるのではないかと期待しています。 進行については、私が作ったフローが競技の部分だけのものだったので、全体の流れを表すものとならず、成績発表などに失敗が出てしまいました。フローは競技開始から成績発表までの流れを全体としてあらわす形に、大会終了後作り直しておきましたので、今後はうまくいくでしょう。 いずれにしても、大変よくやっていただきました。本当にありがとうございました。

2、県大会でのプレゼン「拳士としての生き方を考える《実施に当たって

 今回の県大会は、開祖在りし日の大会では必ず行っておられた開祖ご自身の講話のように、少林寺拳法の理念を正しく伝える何らかのアトラクションをしたいと検討した結果、あのプロジェクターを使った企画「拳士としての生き方を考える《を行うことになったわけです。 3 月の終わりころから、どういう構成でやったらいいのかを模索していく中で大館市社会福祉協議会とも相談しながら、ああいう形を導き出しました。世界の平和と福祉ということを考えたとき、そこには「全ては人の質にある《という大原則があり、それぞれの指導的立場に立つ人が、自他共楽の理念を持って行動するか否かによって結果が大きく変わるということを訴えようと考えました。イラクとソマリアと鷹巣、これらを自他共楽の共通理念で串刺しにして、拳士としての生き方を深く考えようとしたのです。 大会でのプレゼンテーション企画を細かく考えていく前に、大館の「開祖デー《で、実際にやってみようということになりました。少林寺拳法や金剛禅は、人づくりによる国づくりを標榜する団体です。だから、ただ単にその場限りのボランティア活動ではなく、拳士自身の自己確立に役立ち、なおかつ社会へも貢献できる何かを行いたいと考えたのです。その何かとは、拳士一人一人には、さまざまな違いの中から共通性を見出し、自他共楽の理念を体感するということを目標にして、また社会への貢献という点では、地域のバリア・フリーやユニバーサル・デザインにもとづいたインフラと心の問題を、自治体や教育委員会に提言するということをテーマに据えました。 今回、大会のプレゼンを詰めていく作業の中で見えてきたことなのですが、鷹巣町で行われているワーキング・グループとよばれる鷹巣町民の組織によるボランティア活動は、まさに大館の「開祖デー《と同じことをやっていました。町民自らが、商店街などで車いすに乗り、バリア・フリーとしての改善ポイントを行政に提案し、段差解消、福祉施設の建設などを実現してきているわけです。 のちほど、「開祖デー《企画の提言書(案)を皆さんで再検討していただきますが、鷹巣町のワーキング・グループに負けないすばらしい内容にしたいと思いますのでよろしくお願いしますね。

3、信仰心について

 大会で行った「拳士としての生き方を考える《の中で、私は大会当日、われわれ金剛禅門信徒にとって一番肝心なことを説明しませんでした。なぜなら、大会は宗教行事ではないからです。最近、心の教育や宗教教育の重要性などが叫ばれていますが、「拳士としての生き方《と「門信徒としての生き方《では、いったい何が違うと思いますか。 それは、信仰心・信心です。極論すれば、信仰に基づいた行動理念なのか、あるいは、机上の単なる理想論なのかという違いです。 大会で話した内容は、誰もが紊得するもっともな話ではあると思いますが、果たしてそれを実行するかどうかは、まったく別の問題です。「少林寺拳法の理念はそうかもしれないけれども、自分はそう生きようとは思わない《という拳士がいてもおかしくはないのです。そういう拳士がいても良いと言っているのではありませんから、誤解しないでくださいね。いるかもしれないということです。 ところが宗教は違います。それぞれの教団が主張する信仰の中心に対して、心のそこから崇めるほどに信じているわけですから、そこでこうあるべきとか、こう生きるべきとされたならば、人生を賭けて実践しようとするわけです。生き神様を崇め奉り、莫大な借金をしてでもご利益のある壷を求め、神の御心と言われたならば自らの命をも差し出すわけですね。 金剛禅教団のすべての門信徒は、ダーマを信仰しているはずです。その信仰によって、理念を実現することが強く動機付けられているはずなのです。まあ現実には、金剛禅の場合、少林寺拳法をやりたくて仕方なく入信している人が多いので、ちょっと普通の宗教とは違いますけどね。でも、だからこそ心ある者は、真剣に道を求めダーマ信仰を確立して、門信徒としての生き方を全うしようと修行に励まなければならないと思います。

4、「門信徒としての生き方を考える《(大会企画を金剛禅として捉え直す)

 さてそれではここで、大会で行った「拳士としての生き方を考える《を「門信徒としての生き方を考える《と読み直してもう一度考えて見ましょう。
 「開祖は、最も理性的で、しかも人間性の深さを究明して物心両面の安らぎを得られる教えは、釈尊の正しい教えをおいては他にないと考えていました。《「慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く育てる《そのための手段と教えが、拳法の技術であり、釈尊の正しい教えを現代に生かした金剛禅なのです。
 「金剛禅は、死後の救いや死霊のたたり、神仏の罰などを説く教えではありません。金剛禅は、生きている人間が、拳禅一如のたゆまぬ修行を積み、まず真によりどころとできる自己を確立し、そして半ばは他者の幸せと発展のために役立つ人間になろうという教えです。そして、現代社会における物心両面での正しい生活を、人間の英知の活用と善意にもとづくお互いの尊重と援け合いによって確立し、平和で幸福な理想社会を実現しようと説いて《いるのです。
 私たち門信徒にとって、ダーマ信仰にもとづくこの金剛禅の主張と願いこそが、生き方の基本にすえなければならない大前提であることを理解してください。その上で考えてもらいたいことが、あの大会での内容なのです。開祖が1945年に戦争中の中国東北部で体験されたこと、また敗戦直後の日本で体験されたことと同じような現実が、今の世界でもそのまま当てはまり、まだまだこの世の中は、理想境とはいえない現状にあります。そこで、イラクとソマリアを例にとって考えてもらいました。
 イラクでは、子供たちに忍び寄るいくつもの危険がユニセフによって強調されています。イラク全土で再び治安が悪化し、緊急支援と復興努力を妨げる略奪が起きています。国内の給水システムがかなり悪化し、下痢、黒水熱その他の死にいたる病気が全国で報告されています。また、イラクとその周辺に残された上発弾によって子供の死傷者が毎日報告されています。医療機器が上足して、負傷者や病人への適切なケアができない状況にあるのです。学校が再開されていないため結果的に路上生活が増え、また5歳未満の子供の4分の1以上が栄養上良状態です。
 どんな大義吊分があっても戦争とは常に殺し合いでしかなく、その中で利益を得た人もいる反面、生命や財産など多くの犠牲を払った人もいるのです。
 アフリカの角といわれるソマリアでは、総裁が訪れた1986年のあとにもさらに状況が悪化しました。クランと呼ばれる氏族集団同士の抗争と旱魃で人口の5分の1に当たる170万人の流民が生まれました。また、国連のPKOやPKFが人道援助や平和強制を行いましたが、国連側にも数千人の犠牲者が出たのです。そんなソマリアには、谷本氏によると戦争トラウマを抱えたPTSD患者が非常に多くいます。自制力、記憶力、言語能力の喪失など、心の後遺症を抱えながら生きる人々です。ソマリアの多くの精神病院には精神科医がいません。そのため、治療方法もわからず、暴れないように鎖でつながれていて、まるで刑務所のようです。
 イラクやソマリアだけでなく、世界中の戦争や紛争は、多くの犠牲者を生み出しています。自分さえ良ければよいとか、自分たちさえよければそれでよいとする人たちによって、それ以外の人たちが犠牲になるのです。『人、人、人、すべては人の質にある』その立場に立つ人の人格や考え方によって、大変な悲劇が生み出されてしまうこともあるのです。大会ではお話しませんでしたが、道院上げて取り組んでいるルワンダ奨学金も、ルワンダの大虐殺から子供たちに立ち直ってもらおうというもので、教育によって、自他共楽を考え実践できる将来の指導者を育てようとしているのです。今回、援助している子供たちから絵手紙が届きましたので、皆さんでご覧ください。後日、お返事の手紙を出そうと思っていますので、ご協力をお願いしますね。
 大会のプレゼンに戻りますが、大会開催地であった鷹巣町には、先ほどもお話したとおり、町民自らが考え行動し、問題を解決するワーキング・グループという組織があります。商店街の段差解消、福祉施設の建設なども、彼らの地道な活動の積み重ねが基礎となって行政に提案され、実現しているのです。
 「天国や極楽は、あの世にあるものではなく、この世に作るべきものです。それは神仏が作るのではなく、人間が協力して作り出さなければならないものです。人間の心の改造と平和的な手段によって地上天国を実現させようというのが、金剛禅の主張であり、この道を行じる私たちの願いなのです。《この開祖の思いと生き方は、信条に明示されています。ダーマ信仰にもとづいて自分の可能性を信じ、信条のとおり生きようと努力して、身近なところから理想境建設のために行動しようというのが、門信徒としての正しい生き方ではないでしょうか。

5、開祖デーの提言書(案)について

 先ほども述べましたが、開祖デーのバリア・フリーに向けた提言は、鷹巣町のワーキング・グループに負けない、少林寺ならではのものにしたいと思います。この提言書を作るのは、単に市のインフラ整備に対する改善要求や市民への共生に向けたアピールだけのためではありません。より重要なことは、私たち門信徒自身が、金剛禅の教えである自己確立と自他共楽を、単なる理屈を超えた、自分自身の生き方の基準にするための演習なのです。そういう捉え方をして自分自身の修行であるという意識で、この提言書をもう一度見直してほしいと思います。普段、意識することのない他者の存在が、自分のこととして見えてくるようになってほしいと思うのです。他人の立場に立つ癖をつけることによって、独りよがりではない、自他共楽の理想境建設に向けた生き方ができるようになると信じています。自分自身変わることができる、良くなる可能性を秘めた人の霊止であると信じて、お互い修行に励みましょう。

6、提言書に関する意見交換

以下(略)

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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