時 事 法 談 (39)

「日中交流30年について」

2003年6月3日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「日中交流30年について《お話します。

1、ビデオ「少林寺拳法グループ・日中交流30年《鑑賞

本山で行なわれた今年の「道院長研修会《で上映されたVTRがありますので、皆さんにご覧頂きたいと思います。(30分間ビデオ上映)

2、 少林寺にとっての「日中交流《の原点と将来

「世界の平和を達成するには、まず隣国、中国との友好から始めなければならない。日中友好なくしてアジアの平和はあり得ず、アジアの平和なくして世界の平和はあり得ない。《と、開祖は説かれました。この開祖の熱い思いが、少林寺にとっての「日中交流《の原点です。1973年の指導者講習会で開祖は、こうも述べられています。「君らも承知のように、特に中国との交流は深くなりつつあります。また私自身、この関係はとても大切だと考えてきた。日本人はかつて、中国人を侮辱し、自分らだけの幸せや利益のために、ひどい搾取と人殺しをしました。でも、その恥ずかしい時代も終わり、どう仲良く助け合い、協力していくかが、今真剣に求められようとしている。自分たちのした事を忘れ、いまだに中国敵視の態度をとり続けるおかしな人たちもいます。けれど、同じアジア人同士が殺しあうような時代、二度と作ってはいけない。そのためには、政府が消極的なら民間人でいいじゃないか、アジア各国との友好をどんどん進めていくべきです。この間始まった少林寺拳法と中国のお付き合いは、大げさに言えば、私の考える、そんな民間外交の一つでもある。《
さて、それを受けて宗由貴総裁は、「17歳で始めて訪れた中国は、文化・習慣の違いが新鮮な驚きでした。それから28年、日中国交正常化30周年を迎えた今、交流をとおして両国の思考方法の違いに日々驚いています。無理な同化をするのではなく、異なった文化、習慣などを有する両国人民がお互いに理解し協力し合うことで、二度と過ちを繰り返さないために民間交流の小さな成果を積み重ねたい・・・《と述べておられます。
一人一人が交流を重ねる中から、互いに信頼関係を築き上げ、理想境建設に向けてそれぞれがそれぞれのレベルで邁進していかなければなりません。人間は、誰もがみんな違いを持っています。同時に、誰もがダーマの分霊を受けた優れた人間であるという根っこの部分での共通点も持っています。この相似性(同じところ)と相違性(違うところ)を、心の底から理解して、調和のとれた人間関係・信頼関係を築くことが大切なのだと思います。
今の中国は、経済的にも軍事的にも日本を始めとした多くの国々にとって脅威となっています。厳しい国際政治の中では国益と国益のぶつかり合いによって、その脅威がますます増大するでしょう。互いを尊重し理解し協力し合う自他共楽の考え方によって信頼関係を築くこと以外には、平和で豊かな理想境への道は存在しないのです。我々の民間外交は、そういう意味からもとても重要なものであると考えています。
さてみなさんは、中国の方と知り合いお付き合いした経験をお持ちでしょうか。数年前の開祖デーでは、本場中国の餃子を習いましたね。ほんの小さな国際交流でしたが、それぞれの胸に何かを残してくれているのではないかと思います。
今月の終わりには、花岡事件の追悼会が開かれます。今年はSARSの影響で中国から関係者をお招きする事はないようですが、我々大館に住む者にとって、決して忘れてはならない大きな汚点ですね。
雄物川道院の児玉先生も委員として推進されている140プロジェクトでは、夏休みに子供同士の交流を企画されていたそうです。今年はSARS の影響で延期になりましたが、きっといつか実施されると思いますので、こんな企画に乗ってみるのもいいでしょう。また、それ以外にも様々な企画を検討されているようですので、都合が許せばぜひ参加してみてください。一人一人が血の通った国際交流をして行くことによって、また信頼関係を築いて行くことによって、ほんの少しずつではあっても理想境は確実に近づいてくるものと思います。

3、信頼関係作りは日中交流ばかりではない

先ほども述べたように、人間は、誰もが同じ部分と違う部分を持っています。人の霊止たる我を認識し、ダーマによって生かされ生きていく人間として、自ら自己確立に励むとともに、お互いに共通するダーマの霊性を拝み合い、それぞれに独自の個性を尊重しあうという生き方が大切なのだと思います。そういう意味では、日中交流ばかりでなく、全て人間同士の付き合いの上では、信頼関係を築き上げる事がとても大切な要素といえるでしょう。自分自身を何よりも大切にした上で、自分さえ良ければよいとか自分たちさえ良ければそれでよいという考えを捨てて、ともに幸せになるための方策を考えて生きる。場合によっては、自分の事はさしおいてでも相手のために尽くす。そんな生き方から、信頼し信頼される関係が築かれるのだと思います。家庭の中から、地域、職域、同じ国民同士、そして同じ人間同士、という具合にその信頼関係を広げていきたいですね。それこそが幸せの本質であり、平和で豊かな理想境につながる道なのですから。
道院としても、いろいろな方との交流を企画しています。ネパール人とのこともそうですし、障害者の皆さんとのこともそうです。相違性と相似性についてショックを伴って感じる機会が多ければ多いほど、調和のとれた感性・価値観が育つと信じて今後も企画を練っていきますので、積極的に交流を深めてください。もちろん、皆さんが、個人として多くの方と交わる事も大いに期待しています。

4、障害者を取り巻く環境

 先日出会ったある方から、障害者とのかかわりについていろいろな話を伺いました。その方は、「視覚障害者はとてもかわいそうだ《とおっしゃいました。「誰かの手を借りなければ、どこにも行く事ができない。車いすならある程度自由があるでしょう《と。だからそのかわいそうな人たちのために、全てを尽くしていらっしゃるそうです。でもその関係は、助ける人と助けてもらう人という、一方的なものなのではないかとその時感じました。違うかもしれませんが、私はその時そう感じたのです。それは、相互に尊重し合い助け合うというものではないように思います。障害者を取り巻く環境の中で、「障害者というものは、一方的に誰かに助けてもらうだけで、他人のために何かをしてあげることができない《と錯覚している人が多いのではないでしょうか。人間は誰しも、他人の役に立ったときに大きな喜びを感じます。逆にいつも他人の世話にばかりなっている、お荷物になっていると感じたときには、大きな悲しみが生じるのではないでしょうか。
 全ての人間関係は、差別や抑圧のない、平等なものであるべきです。そのためにも互いに尊重しあい理解しあい認め合い、そして何より互いに助け合う、信頼で結ばれた絆が重要なのだと思うのです。
また、その方は、「障害者は、傍からじろじろ見られるからあまり外に出たがらない《ともおっしゃっていました。人種のるつぼ・ミックスサラダといわれているニューヨークでは、人種によって住んでいる場所が分かれています。それによって、その地域を出ない限りにおいては、差別もなく平和に暮らせるのです。でも、果たしてそれがベストな方法でしょうか。違う人間同士が、その相違性と相似性を理解した上で、協調融和してともに協力し合う、本物のミックスサラダのような渾然一体となったあり方が理想的なのではないでしょうか。

5、人間関係は面倒だが楽しい

 ひとが、他人との関係を持つと必ず摩擦が生じます。相手の心を理解しなければトラブルが起きてしまうわけですから、気も使うでしょう。誰にも気兼ねなく悠々自適に暮らせる方が楽に決まっています。同じ人種、同じ性別、同じ価値観、同じ境遇の人たちだけで、閉ざされた世界の中で暮らしていけば、ストレスも小さいかもしれません。ムラ社会の中で、そのムラ独自のルールにのっとって秩序を維持する方が簡単でしょう。
 でも、もはやグローバル化は止められない地球市民の時代になっているのです。閉じた世界だけでの理想境などは、もはや作り得ないのです。とすれば、いかにして異質な人と協調していくかを考えずにはいられませんね。それにもまして、異質なものと協調融和することによって、新たなものが生まれます。天地陰陽和合諸法無我ですね。他人が自分と違うから面白いのです。そこに発展もあるのです。
人と人が出会うと、まずその違いに目が向くはずです。今までに見たこともないような違いを見つけると、そこに恐怖を感じ排除しようとする事もあります。障害者に対する視線も然り、人種差別も然り、悪意を持った為政者は、そういった本能的なものをうまく利用して、ごく一部の者のための政治を行なおうとする事もあるわけです。
逆に全く違うと思っている中で共通項を見出すと、急に嬉しくなりますね。旅行先で、タテ卍のバッジを見ると、まるで古くからの友人のように親しく話し掛けたくなるものです。その気持ちを深める事で、青幇のような強固な団結力を持つ拝み合い助け合いの金剛禅教団が実現するのです。
でも、考えてみれば、タテ卍は力愛上二でありダーマです。つまり、胸の卍をみて合掌礼をしていますが、その本質は、相手の霊性「ダーマ《を見て拝みあうべきものです。同志だから拝み合うのではなく、同じ人間として誰とでも拝みあうのが本旨でしょう。まずは金剛禅教団の中に理想境を建設しようとしていますが、いつかは、地球人全てが理想境の中に共存し共生する事を目的にしなければならないことがわかります。開祖が思い描いた組織は、青幇のような秘密結社ですが、よくあるカルト教団のような、「入信しなければ生き残れないとか、信じるものだけが救われる《といった教えではなく、外に開かれた、みんなでこの世に理想境を作り上げようという教えです。まずは教団内部が団結して拝み合い助け合いの世の中を実現させようとしていますが、同時に世界が平和で豊かになるように、金剛禅門信徒である同志が協力して貢献しようとしているのです。

6、 正義を愛し人道を重んじ礼儀を正し平和を守る真の勇者としての生き方

信条第三は、「一、我等は、正義を愛し、人道を重んじ、礼儀を正し、平和を守る真の勇者たる事を期す。《ですが、これは、より良い社会を築くための日常生活での行動の指針です。僧階教本によれば、「正義感を養い、ダーマ=天に依拠する人道、礼儀を踏み外さず、人類究極の悲願である平和を守るために行動する、真の勇者であろうとする決意です。《そういう生き方をしていくことで、信頼し信頼される素晴らしい人間関係が築け、ひいては、理想境建設につながると教えられているのだと思います。少林寺拳法読本では、「少林寺拳法の拳士は、自己の可能性を信じる生き方ができる人間、主体性を持った生き方ができる人間、他人の幸せを考えて行動できる人間、慈悲心と勇気と正義感を持って行動できる人間、連帯し協力し合う生き方ができる人間になることを目指《すと、示されています。
日々の修行で自らの徳を磨き、かけがえのない信頼で結ばれた絆を築いて、幸せになりましょう。そして、そんな幸せをみんなで他の人たちにも広めていきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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