時 事 法 談 (38)

「自他共楽(共生)を目指した町づくり・世界作りについて」

2003年5月1日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「自他共楽(共生)を目指した町づくり・世界作りについて《お話します。

1、イラク問題

先月、イラクとの戦争についてお話しましたが、予想以上の展開になりました。今となっては、一日も早い復興を祈るばかりです。
ところで、アメリカでは、あの戦争に反対して声を上げていたハリウッドの俳優達が干されているそうです。また世界の多くのマスコミは、侵略戦争だと批判していたかと思えば、事実上の終戦と同時に圧政に苦しむイラク国民を解放したとして英米をたたえる報道をし、そして最近では、反米運動が盛り上がっていると伝えています。ニュースというものは、事実だけを報道するものではありません。ある一部分を切り取って、人工的に加工されて流されるものです。だから私たちは、たった一つの新聞だけで判断してはいけないのです。私自身は、右よりの新聞と左よりの新聞を並べて読むように心がけています。また、できるだけ海外の新聞などにも目を向け、なるべく多くの情報を比較するように努めています。インターネットという素晴らしい手段があるのですから、皆さんも是非比較して情報を読む習慣を身につけて欲しいと思います。自分の中に「開祖の教え《というきっちりとした価値観を持って、多くの情報に触れ、それらを比較してみると、また報道とは違ったものが見えてきます。少なくとも、「勝てば官軍負ければ賊軍《といった日和見的な世論に迎合する事なく、自分自身の中心軸・正中線をブレさせずに保てるのではないでしょうか。
イラク国民は、長い間フセインの圧政に苦しんできました。でも、今回の戦争はその国民を独裁者から解放した、良い戦争だったのでしょうか。あるいは、開戦当初まで多くのマスコミで言われていたようにこの戦争がアメリカの侵略戦争だったとすれば、それは悪い戦争だったのでしょうか。いま、メディアは、この戦争を検証する特集を盛んに組んでいます。でも、多くの場合そこには、国家や国際社会といったマクロの視点しかないように感じるのです。本当に大切なのは、国でも国際社会でもなく、一人一人の生きている人間です。本来国家は、国民の生命財産を守るためにあるはずです。国益とは、国民全体の利益をさすのだと思います。そもそも独裁国家は、ここのところで大きな勘違いをしている指導者に導かれている上幸な国家であるわけですが、はたして民主的な国家といわれている国々でも、国民総体の利益よりもごく一部の有力者の利益が優先されているのではないでしょうか。そういう意味では、民主的な国家といえども上幸な国がたくさんありますね。
今回の戦争で、確かにアメリカは、フセインの圧政からイラク国民を開放したようです。けれども、そこでイラク国民が払った代償は計り知れません。何よりも、どれだけ多くの命と尊厳が踏みにじられた事か。本当にこれ以外の方法がなかったのでしょうか。911から始まったアメリカの行動は、アメリカ自身が国土と国民をテロから守る手段をもっていないために生じる恐怖が根底にあって、守主攻従の余裕などなく、危険な相手には先制攻撃をかけて潰していこうというものだと思います。そして、おそらくブッシュ大統領の正義感が、これらの戦争を正当化させているのでしょう。
けれども、何度も言うようですが、正義のための戦争などあるはずがありません。開放するべき国民を、たとえ誤爆というミステイクだとしても殺してしまっていいはずがないではありませんか。戦争は、最後の最後のそのまた最後の手段であるはずです。今回のケースでは、本当にこれしか方法がなかったとは、どう考えても思えないのです。ユニセフによると、「イラクの子供たちはいま、戦乱の苦難と恐怖の中で助けを待っています。食べ物や安全な飲み水も手に入らず、体力と抵抗力が衰えていく子供たちの体を、はしかなどの感染症や下痢が容赦なく襲います。目前で繰り広げられる暴力に子供たちは怯え、傷つき、一刻も早い心理的サポートを必要としています。イラクの子供たちは生まれてからずっと戦争や経済制裁のために命を脅かされてきました。今回の戦争が起こる前にも、5歳未満の子供の4人に一人が栄養上良に苦しみ、また安全な水を得る事ができず、8人に一人が5歳の誕生日を迎える前に命を失う深刻な状態にありました。戦争の一番の犠牲者はいつも子供たちです。《これが戦争の現実です。この現実のどこに正義があるのでしょうか。

2、アフガン・ソマリア・ルワンダの実例

戦争や紛争が、当事者達に与える影響は様々です。アメリカがイラクの前に開放したというアフガニスタンにも悲惨な現状があるようです。アメリカはこのときも、テロリスト掃討を第一の目的にしたうえで、タリバンの圧政からアフガン民衆を解放するとのいわゆるブッシュの正義感から戦争をはじめました。ペシャワール会によれば、結果としてもたらされたものは、無秩序と軍閥の台頭であったといいます。「NGO、国連組織、各国政府機関が復興事業をはじめて既に一年が経過した。しかし難民帰還事業で帰された村は旱魃で荒れ果て大半の村人は再び難民となって隣国に舞い戻っている。復興資金が消費されれば、数年を経ず国際組織は撤退していくであろう。この歯軋りするような無力感の中で私たちは何をすべきなのか。《とペシャワール会は憤りを表明しています。
また、アフリカの角と言われるソマリアには、長年にわたる紛争によって、自制力や記憶力また言語能力などを喪失する心の後遺症を抱えながら生きている人々がいます。戦争は、生命や財産を奪うだけでなく、トラウマとして人の心をも蝕んでいるのです。
ルワンダでも、紛争が子供たちに深刻な影響を及ぼしています。今回道院として取り組み始めた「ルワンダ奨学基金《はその一つの対策です。ルワンダは、1994年に政治的対立が引き起こした虐殺によって3ヶ月間で100万人以上の人命が奪われた国です。「ルワンダ奨学基金《とは、ルワンダの子供たちが学校に通えるようにみんなで教育資金を支援しようというものですが、この国では、多くの子供が戦災孤児やエイズ孤児となり、学校に行けません。また、家族がいても、貧困などの問題で学校教育を受けられない子供たちも多いのです。
どんなに大義吊分を掲げようとも、決して戦争は正義にはなり得ないのです。

3、悪と正義

イラクのフセインや北朝鮮の金正日が、Evil(悪)に分類されること自体は、間違いではないでしょう。なぜなら、自分さえ良ければいいという利己的思想での独裁体制だからです。でも、アメリカのブッシュも自らの正義感とは違って、決して正義の勇者とはいえないでしょう。私たち金剛禅門信徒の最低限のモラルは、「殺さず、差別せず、抑圧せず《です。どんなに立派な理想があろうとも、その達成のために手段を選ばないというのでは本末転倒ですね。今回の戦争は、いま叩かないと大量破壊兵器の先制攻撃によって大変な被害が出るかもしれないという事を、大きな理由にしていました。でも、大きな被害を防ぐために、小さな被害はやむを得ないという考えは果たして正義でしょうか。おおぜいを救うために自ら志願して命を犠牲にする人は英雄と呼ばれるでしょうが、望みもしないのに、少数だからと言う理由だけで多数のために命を奪われた人は、大変な犠牲者です。そんなマイノリティーの犠牲の上にたった、マジョリティーの繁栄が許されるのでしょうか。正義の吊のもとに行なわれる戦争は、差別以外のなにものでもないと感じます。自分さえ良ければよいあるいは自分たちさえ良ければよいという考えのもとに行なわれる行為は、全て悪だと考えて間違いないと思うのです。

4、自他共楽(共生)を目指した町づくりと国づくり世界作り

地元大館に目を戻してみましょう。マジョリティーとマイノリティーがここにもあります。いわゆる健常者と障害者は、その一つです。でも、健常者の中にも、屈強な若者とお年寄り、妊婦や幼児、あるいは外国人等といった違いもありますね。大館市に限ったことではありませんが、町というものはいろいろな人々が、渾然として一緒に住んでいるのです。
今回の開祖デーでは、この町を歩いてみます。それもいろいろな人になって歩いてみます。つまり、車いすを利用している人になってみたり、目の上自由な人になってみたり、耳が上自由な人になったり、お年寄りになったり、妊婦になったり、幼児になったり、外国人になったりします。それぞれの障害を体験しながら、人それぞれにある様々な違いを見つめ、そして共通する命を見つめてみたいと思います。
町を歩けば、車いすでは上がれない段差を発見したり、目や耳が上自由だと危険な場所を見つけたり、お年寄りや妊婦に優しくない場所に気付いたり、幼児の目線で道を歩く事の恐怖を感じたり、外国人にとってわかりにくい標識を見つけたりすると思います。また、屈強な若者にとっても、車社会のなかで、道を歩くということがどれほど危険な事かも体験できるでしょう。
人はついつい、自己中心的なものの見方をしてしまいます。また社会は、意図しているか、していないかは別として、力のあるマジョリティーを中心に、マジョリティーのために築かれてしまいます。そんな事を体感し、理解する場にしたいと考えています。
そして、一人一人が、自分しかない心を捨てて、自他共楽の思想を持てば、マジョリティーもマイノリティーもなく、ともに平和で豊かに暮らしていける事を再認識する場にしたいと考えています。町歩きの中で気付いた内容をもとにインフラの改善策を大館市に示し、その上で、インフラの整備には限度がありますから、自分たち市民の心のもち方次第で、もっともっと住み良い町にできるはずだと、市民に広く訴えかける提言書をまとめます。皆さんの力を結集して、平和で住み良い社会作りに貢献しましょう。
今日話した内容は、今年の県大会で取り上げるテーマでもあります。金剛禅門信徒である以上、自分のない他人頼りの生き方は論外ですが、他を認めない自分しかない心を、自分の努力で浄化して、自他共楽の生き方ができるように修行に励みましょう。自分自身がそうなる事によって、また、そう考える人が一人でも多くなる事によって、平和で豊かな社会が実現できると信じて、一歩一歩進んでいきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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