時 事 法 談 (33)

「人生の目的について」

2002年12月3日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「人生の目的について《お話します

1、「霊止《として生まれたことの自覚

樹君、大学合格おめでとう。進学や就職は、当然のことながら人生の大きな転機になります。努力をした結果として手にした縁です。この進学が、人生の大きな糧となるように、精一杯これからも努力してくださいね。
 さて、皆さんは「人の霊止たる我《というものを充分に認識していますか。自分は、ダーマの分霊を身に受けた人間であるというとてもありがたい存在なのだということを、充分に認識し理解する事が、金剛禅信仰の第一歩だと思います。ダーマという言葉は、サンスクリット語のDHARMAの事で、日本の仏教一般にはダルマといわれていますが、少林寺では祖師を「達磨大師《として仰いでいますので、混同しないためにダーマといっています。ダーマについては、教典の中の教義で明確に教えられていますが、覚えていますか。ここでじっくりと噛みしめてみたいと思います。
 「教義  本宗団の信仰の中心は大宇宙の大霊力たるダーマである。ダーマは宇宙の根本実相であり、大生命であり、大光明であり、大霊力である。この大霊力は無形なるが故に、見ることは出来ないが存在は認識できる。時間と空間を超越して、存在する大引力であり、凡ての生物を、生成化育する大生命力であり、因果応報の、道理を司さどる、大霊力である。その力は、無限であり、無量であり、無等々である。この大霊力を我らはダーマと称え信仰しているのである。人間は、この大宇宙の大霊力の分身として存在し、その分霊たる霊魂を所有している事を認識する。ゆえに、霊魂とその住家である肉体を修養すれば、その本然の霊力を顕現せしめて、無病強健、歓喜悦楽の人生を経験して天寿を全うし得ると認識するものである。茲に於いて、我らは、大霊力ダーマに信心帰依し大聖釈尊の遺教たる、自己を確立し、己を寄り所とする道を極め、祖師ダルマの遺法を奉じて精進修業し、霊肉一如、行念一致の功徳によって必ず成道し得ると信ずるのである。《
 要するにダーマとは、宇宙の最高の真理であり、最高の秩序であるということです。また、全宇宙に存在する一切の現象の根源となっているものでもあります。全てはダーマによって成り立っているのです。 よく日本人は「私は無宗教である《などと平気で言いますが、信仰を持たないという事は、自分以外なにも信じないということで、この世に存在する真理や秩序といったものも認めていないということに他なりません。だから、外国の人から、奇異な目で見られたり軽蔑されたりするのです。まさに「私は自己チューです《と言っているようなものですからね。一神教ではGODが、また多神教であればそれぞれの神様が、畏くもこの宇宙をクリエイトされ、また秩序正しく維持されていると考えるわけです。信仰の対象は違っていても、また直接的か間接的かの別はあっても、つきつめて考えれば、ほとんど全ての宗教は、この真理や秩序を崇めているのです。そういう点では、究極的にダーマに収斂されるわけで、金剛禅が調和の思想であり、他を否定しない懐の深さがあるのは、こんなところによるのではないかと私は考えています。 このダーマという大いなる力を理解した上で、私たちは人間についてじっくりと考えなければなりません。人間には、より良く生きようという意志や、情操、理性といったものがあります。これらは他の生物にはないものですね。人間だけに、これらの働き、つまり魂が与えられているのです。他の生物は環境に適応する事は出来ても、意思を持って環境に働きかける事は出来ません。金剛禅では、人間だけが持つこの魂こそが、ダーマの分霊であるととらえることが肝心なのです。神の御心によって動かされる宗教との大いなる違いであり、自力宗といわれるゆえんでもあります。ダーマの分霊をもっているからこそ、自分自身が、かけがえのない尊い存在であると認識できるのです。そしてまた、他の人たちもダーマの分霊を持つ尊い存在なのだと理解できるはずです。これを心から紊得するという事が、霊魂が我の身体にとどまっている、つまり人が霊止であるという我の姿を認識するという事なのです。

2、使命感にもとづいた人生の目的

人は両親の偉大な力によって肉体を受け、ダーマの分霊を授かって、この世に生まれてきます。人が霊止であるということは、自ら変わることのできる可能性を持っている、変化できる種を持っているということです。感性にしたがって、自らの価値観で判断し行動する事によって、積極的に働きかける事ができる存在なのです。けれども、その力を悪用しあるいは間違った判断や行動をすると、ダーマに反して、世の中の秩序を乱すことも可能です。人間以外の生物は、マクロに見ると自然界の秩序を乱すことはありませんが、人間だけは、無分別な行動で今までどれだけ多くの秩序を乱してきたか、環境問題一つとっても反省すべき事は山ほどありますね。自分の種をどう育てるかは、自分の努力にかかっています。 人が霊止として生まれてきたのは、ダーマによって命を与えられ、ダーマによって生かされていると考えなければなりません。決して自分だけの力で生きているのではないのです。それは、必要だから、生かされているのです。自分という存在が、この世の中に必要とされて生かされていると認識したとき、自分の使命を考えざるを得なくなるでしょう。 自らの判断で積極的に世の中に関わる事ができる自分という存在が、ダーマによって生かされている。であるならば、何をしなければならないのか、ここでじっくりと考えてみてください。 それは、少なくとも自分の存在自体が社会の迷惑であって良いはずがありません。いないほうが良いと言われる存在になってはいけないのです。ダーマによって必要とされて生きている以上は、あの人でなければ、あの人にやってもらわなければと、他人から頼りにされる存在であるべきですよね。 そして金剛禅門信徒として修行に励んでいる皆さんは、じっくりと自分の存在について考えてみれば、正義のために、また平和で豊かな社会作りのために、必要とされ生かされている、そんな使命感が自然と湧いてくるのではないでしょうか。さらに幹部の皆さんは、なおその上に、指導者の指導者を育てるという使命感も湧いてくるはずです。

3、何をしたいか、何ができるか、誰とするか

皆さんの中に自然に沸き起こった使命感、その使命感にもとづいて自らの人生の目的を、自分自身で導き出してもらいたいと思います。自分の人生での最終目的や、そこに至るための目標を立ててみてください。一体自分は何をしたいのか、また自分には何ができるのか。もちろん、こんな時代ですから、願ったとおりになるとは言い切れません。でも、願いがなければ何事も始まりません。目的をしっかりと見定めて、その場その場で軌道修正をしながら、自分に与えられた環境の中で、できることを精一杯やっていけばいいのではないでしょうか。そしてもう一つ大切な事は、誰とするかということです。人生の略術技を組み立てつつ、仲間と共に楽しく前向きに人生を歩いていきましょう。

4、理想境建設に邁進

私自身の事を少しお話しておきます。世界の平和と福祉への貢献、そして社会の指導者を育てるという大いなる使命感に突き動かされて、私は道院長になりました。仲間と共に生かされて生きるという喜びや他のために奉仕する喜びを、皆さんに伝えて行くこともまた、私に課せられた使命であると思います。皆さんの生命と魂そして教えと技術と組織を預かっている者の一人として、自覚と誇りを持って、楽しみながら、挫けず逃げずに、続けていこうと考えています。これからもよろしくお願いしますね。 また、社会にあっては、人の健康に奉仕し地域社会への貢献をしたいと、仕事に励んでいますし、奉仕団体などの活動もしています。そしてARCへの協力という形で、世界にも目を向けています。微力ですが、できることをできるところから、皆さんと一緒にやっていきたいと考えています。 ところでそのARCから最近、皆さんへのお願いが届きました。ルワンダで内戦を生き抜いてきた子供たちに教育を受けさせてあげたいとの思いから、ARCルワンダ奨学基金が開設されました。ARCの小峯さんから、「是非道院の皆様にも声をおかけいただき、ルワンダの子供たちをご支援ください。いつかその子達に少林寺を教えてください!《とありました。後ほど皆さんで検討してみてください。 こんな時代に、やりたい事を、やりたいようにやらせてもらえている自分がとても恵まれているという事は、良くわかっています。でも、皆さんもそれぞれに目的を持って、それに向かって努力して欲しいと思います。やらない先から諦めずに、いやな事はさっさと忘れて、人生を大いに楽しんでください。 開祖は、「民族や国家が伝統や文化にもとづくそれぞれの生活を営みながら、互いに協調融和し、権力によって支配せず支配されず、最新科学が生み出す無限の富を活用し、豊かな生活を確立し、人間の霊性にもとづく高い道義心によって調和された平和で豊かな世界《という人類最高最終の理想境を描かれました。そして、敗戦によって人心の廃れた日本人に「剛健な肉体と上屈の精神力を基盤とした自信と勇気と慈悲心を椊えつけて、頼りになる自己を確立させると共に、人間関係のあり方と横のつながりの大切さを教えて自他共楽の理想境をまずこの日本に作り上げよう《と金剛禅を開基されたのです。開祖のこの熱い志をわがものとして、人生をかけて、ともに理想境建設に邁進しようではありませんか。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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