時 事 法 談 (32)

「指導者としての生き方について」

2002年11月5日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「指導者としての生き方について《お話します。

1、世界のトップリーダーたち

 学連で同期だった広島大学拳法部の友人が赴任しているコロンビアで、以前から続いている内乱が、彼女のいる市街地に近づく兆しを見せているそうです。他にも、拉致と核で日本にとって安全保障上の大問題となった北朝鮮、それにイラク、イスラエル・パレスチナ、ロシア・チェチェン、アジアに広がるアルカイダらによるテロ、IRA、国連が撤退したあとのルワンダ、アフガニスタン、ネパール、数え上げればきりがない程、毎日毎日世界各地のきな臭い話がマスコミを賑わしています。そのどれをみても、トップリーダーたちの考え方や、あり方が原因して、大きな問題となっています。北朝鮮の金日成・金正日、イラクのフセイン、イスラエルのシャロン、パレスチナのアラファト、誰を見ても、悪役の顔が浮かびますよね。 しかし、その顔は、一方的な見方によるのかもしれません。たとえば、アルカイダを匿っていたとされるタリバン政権ですが、ペシャワール会の中村医師によれば、「タリバン政権の崩壊は、取り返しのつかぬ無秩序と、人々の苦境を生み出したといえる。『開放』されたのは、麻薬栽培の自由、餓死の自由、アフガン人が誇りを失う自由である。《と述べています。つまり、タリバンは、西側の論理では悪魔のような存在だといわれていても、「ならず者の寄せ集めである北部同盟よりも、タリバン政権のほうがしっかりと国内の秩序を保っていた《というのです。国連は、「人権《というものは普遍的なものだと結論付けていますが、これも文化の違いによって大きな幅があることは否めません。どんな人でもまたどんな国でも、一方的に「正《と「悪《に分類する事は間違いであるのかもしれませんね。 ただ一ついえる事は、「自分さえ良ければよい《、あるいは「自分たちさえ良ければよい《と考えて行なわれるもの全ては、「上正《であるということです。そういう意味で、アメリカも決して正義のヒーローであるとは言えないと、私は考えています。 開祖は、教範の冒頭で、「イデオロギーや宗教や道徳よりも、国家や民族の利害のほうが優先し、力だけが正義であるかのような、厳しい国際政治の現実を身をもって経験した。そしてその中から知り得た貴重な経験は、法律も軍事も政治のあり方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立つ人の人格や考え方の如何によって大変な差の出ることを発見した事である。満州で政権を握っていた頃の日本人の場合も同様であったことを改めて思い浮かべて、私の人生観は大きく変わり今後の生き方に一つの目標を見出したのである。《と述べられています。 アメリカの外交政策を見ても、湾岸戦争のときのブッシュ大統領とその息子である現大統領、そしてその二人に仕えているライス補佐官、彼らの外交路線と、クリントン前大統領政権の外交路線では、大きく異なっているわけです。「人、人、人、全ては人の質にある。《のです。歴史にIfは禁物だといわれますが、もし北朝鮮の指導者が金親子でなかったならば、あるいはまたイラクにフセインがいなかったならば、世界はもう少し平和だったかもしれないと思うとやりきれませんね。最近のニューヨークタイムズに、ホワイトハウスが、フセインを倒したあとで、日本を占領したときのような占領政策を敷く事を検討しているという記事が出ました。その記事の中には、そんな中にあっても、第二次大戦後ドイツの占領に関わっていたキッシンジャーが、「西側の論理で、イスラムの心を持つイスラム教国を占領する事には絶対に反対だ《と述べているとも書かれています。その立場に立つ人の人格や考え方によって大変な差が出るということです。

2、現場の指導者

 つい数日前のストラットフォーのレポートによると、アルカイダが、今まで以上に小さなセルに分解されてきており、その小さな細胞ごとに独立して、各地でテロ活動を行なう危険性を指摘していました。事の良し悪しは別として、トップリーダーではなく、現場の指導者がその組織を動かしているのです。チェチェンにしても、パレスチナにしても、恨みで結ばれた自然発生的な小さな組織にも必ず指導者が生まれます。その指導者の人格や考え方によって、報復の連鎖が続くのか断ち切れのるかも決まるのでしょう。戦争や紛争を始めるのは、常にトップリーダーですが、それを継続させ増悪させるのは現場の指導者なのです。最近多発している企業上祥事も、現場の指導者が初動の段階で適切に対処していたならば、その企業のトップがみっともない最後を迎えなくても良かったはずです。組織にとって、現場の指導者を育てる事がどれほど重要か、よくわかりますね。

3、リーダーにはなれないと思っている人へ

 今までリーダーの話をしてきましたが、皆さんの中には、俺には関係のないことだと思っている人もいるでしょう。俺は、リーダーなんかにはなれないし、そんな気もないという人もいるでしょう。 でも、本当にそうでしょうか。他人の後ろを歩くのはとても楽な事です。自分に自信がない人は、他人を当てにするしかありません。自分に勇気のない人は、既に他人が歩いて安心できるという道のほかには、進もうとしません。行動力のない人は、思っていても一歩を踏み出せないのです。そう考えてみると、自ら率先して事にあたれないということは、リーダーであるかないか以前の問題です。自らを律する事が出来ない、つまり自己確立ができないということなのです。裏を返せば、自己確立とは、自分が自分自身のリーダーになる、「主《になるということではないでしょうか。主体的に生きるということです。大きな組織のリーダーは、国連事務総長であったり、合衆国大統領であったり、総理大臣であったりするかもしれませんが、最も小さな単位のリーダーは、自分の事を自分で決めて行動できるその人自身であると思うのです。つまり、人間である以上、誰でもが自分自身のリーダーであるべきなのです。まあそうはいっても、世間でよく多様性といいますが、そんな自己確立の出来ない人がいるのは当たり前の事です。それを否定してみたところで仕方がありません。 ただし、わたしたちは少林寺の拳士です。金剛禅門信徒なのです。ダーマを信仰しているはずです。ダーマ信仰は、可能性を信じて努力する事です。自己確立と自他共楽の理想に向けて、日々修行に励むと誓っているのです。だったら、やらない先から諦めずに、まずは自分自身のリーダーになれるように、易筋行と鎮魂行、作務をはじめとした行住坐臥のなかで、修行に励まなければならないのです。

4、鶏頭牛尾(金剛禅運動は社会の指導者を育てる運動)

 開祖は、教範の末尾に「むしろ鶏頭となるとも牛尾となるなかれ《という言葉を掲載されました。牛のシッポや金魚の糞ではいかんと、たとえ小さな組織でも、トップに立ってその組織を動かせということだと思います。これは、開祖が最初から指導者を育てようとされた証でもあるでしょう。自己確立と自他共楽の教えは、自分だけで完結させるものではなく、「上求菩提・下化衆生」であるべきで、いかに社会とかかわって行くかが大切なのです。実際、「金剛禅運動は、まわりに影響を与え、まわりの者の先頭に立ち、地域、学校、職場を改造し、社会を改造していく人、つまり社会の指導者を育てる運動である。《とも述べられているのです。 今の小学校では、リーダーシップを学ぶ場であるはずの学級委員長というものがないそうです。手をつないでゴールしましょうとか、玉入れは必ず同点になるように数えてくださいといった、変な平等観が、教育の世界に蔓延しているのかもしれません。そんな現代にあって、社会の指導者を育てようとしている金剛禅が果たす役割は、とても大きいと思います。

5、指導者を目指す修行者としてのありかた

 金剛禅門信徒として社会の指導者を目指す皆さんには、普段の稽古の中でも、期別が一期でも古く、資格が一つでも上ならば、その後輩をしっかり指導してもらいたいと思います。それは、社会の指導者になるための一つの修行でもあるからです。ただし、決して思い上がってはいけません。後輩は先輩を敬う必要がありますが、先輩も後輩を侮らないことが大切なのです。皆さんにとっての後輩指導は、教える事によって自らをたかめていくというものであるはずです。人間は、自分が意識して自ら変わろうとしなければ決して変えられるものではありません。後輩を変えてやろう等という考えは禁物です。むしろ、教えさせていただくことによって、自分が修行させて頂いていると日々考えていなければならないのです。そして、易筋行はもちろん、作務やいろいろな行事での行動など全てにおいて、先輩は率先して自らが手本となるように努力し、その後ろ姿を見せつつ、ポイントを指導して行くことが大切です。自分では何もやらず、腕組みをしながら口先ばかり偉そうな事を言っても、決して後輩はついてきてくれませんよ。
 さて、金剛禅運動の指導者を目指している有段者の皆さんには、もっと突っ込んだ話をしなければなりません。開祖は、「全ては人の質にあるのであるから、まず、おかげや罰に迷わされない、信念のあるたくましい若者を、少林寺拳法を手段として集め、自分を改造するように指導し、次第に周囲に影響を与え得る人材として育てて行く。こうして育った人材が、また、次の人材を育てる・・・。そして、やがては合掌一つで最大限の便宜を図りあえる拝み合い、援けあいの世の中をつくる。それが金剛禅運動である。《と述べられています。その上で、「金剛禅運動の指導者である道院長や支部長ならびに第一線で布教に活動する幹部各位は、教範に示されている目的や信念に従って行動する事が大原則であり、指導者として自らが真にダーマの分霊を持つ優れたる人間である事を自覚し、ダーマ信仰とそこから生まれる使命感を確立して、率先陣頭に立つとともに、幸福運動としての金剛禅運動の目的や理想境建設への指導理念を体得体解し、指導者としての立場を維持できるように常に勉強に励み、人格識見の向上に努めるとともに、布教のための具体的人集めの手段である正統少林寺拳法の技術の向上と、指導力の養成維持に努力を怠ってはならない。《と示されているのです。そして指導者のとるべき実践項目として、「修行目的の確認《、「正しい判断力の養成《、「決断力の訓練」、「上正に対する怒りと行動《、「真の愛国運動への挺身《、「支部・道院の正常な運営」を挙げられています。私自身も心して取り組んで参ります。もし私の指導者としての姿勢に問題があったら、いつでも言ってきて下さいね。私自身、円満な人格や周囲に影響を及ぼせる人徳といったようなものには、まだまだ及ばない未熟な指導者ですが、皆さんの指摘を受けないように、また尊敬される指導者になれるように、自分の可能性を信じて今後も努力してまいりますので、ついてきてください。よろしくお願いします。

6、平和で豊かな理想社会に導く真のリーダーになろう

 さて、開祖が求められた鶏頭牛尾は、少林寺の世界だけの、あるいはもっと狭い道院の中だけの、「指導者《でないことは明らかです。金剛禅運動の「指導者《とは、まず自らが、家庭や職域、学校、地域などで、その行動が評価され自然に影響を及ぼす事のできる人間でなければなりません。その上で、そういう「指導者《を一人でも多く育てる、「指導者」の「指導者《でなければならないのです。世界中にテロや紛争が渦巻いている今だからこそ、平和で豊かな理想社会をはっきりと示し、導いて行ける本当のリーダーに、一緒になろうではありませんか。そして、道院はもとより、小教区一丸となって社会の平和と福祉に貢献していきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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