時 事 法 談 (31)

「失敗について」

2002年10月1日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「失敗について《お話します。

1、易筋行で学ぶ「失敗」

 秋田県北小教区では、今年、「易筋行から何を学ぶか《ということをテーマに設定して取り組んできていますが、易筋行から学ぶべきものがいろいろある中で、「失敗《について学んだり、「失敗《をとおして学んだりするという事の意義は非常に大きいものがあります。例えば小手投一つとっても、攻者の攻撃が投げて下さいと言っているような、まるでやられるためにするようないい加減なものだと、守者はほとんど「失敗《することなく、その形を何度でも再現する事が出来るかもしれません。そのうえ守者は、自分の力で「成功した、出来た《と勘違いしてしまうでしょう。そんな形だけの技術からは、何も学ぶ事は出来ません。シビアな攻撃をしてもらって、それに対処しようと稽古する中で、様々な「失敗《を繰り返し、試行錯誤しながら、その法形を完成に近づけていく事こそが、意味ある修行なのではないでしょうか。 少林寺拳法の技術は、とてもロジカルなものです。「理を知る《事が、どれほど大切か、皆さんは身を持って認識しておられることと思います。「失敗《の理由を、この「理《という面から考えてみると、反省すべき点がたくさん浮かんできますね。「理《にかなわない動きをすれば、決してうまくはいかないのです。 けれども失敗の理由がそれだけではない事も、皆さんよく感じていられると思います。少林寺拳法は、とても理論的に技術が構成されていますが、それを運用する人間に対しても、深く洞察されて作り上げられています。とても人間臭いあいまいな、心の動きや、勘といったものが、その決断や行動を大きく左右するのです。 運用法の稽古をすると、このあいまいな部分と、理論的な部分の結合がなければうまくいかないということがよくわかるはずです。因みに、私も学生時代には、この意思決定のあいまいな部分を学問的に研究されている遠田教授にお世話になりました。 そして何より、思いのとおりに体が動く事が重要です。「知る《「分かる《「出来る《という段階から、「身につく《という段階にいたるために、どれだけ多くの数をかけた修行をしなければならないか、もう一度じっくり考えてみてください。日頃の弛みない努力こそが、正しい意思決定にもとづいて正しく行動するためには、絶対に必要なポイントといえるでしょう。 私たちは、日々の稽古で「失敗」を繰り返す中から、その自らに足りないところを正しく認識したうえで、意識してその部分を修正する事によって、技術の質を高めなければなりません。まさに上撓上屈、七転び八起き、達磨の精神です。「ダーマ信仰《そのものですね。そしてまた、お互いに相手のために教えあうというコミュニケーションをはかる中から、拝み合い助け合いの心を養い、自己確立、自他共楽に向かわなければならないのです。

2、相次いで新聞を賑わす失敗

 さて、最近とみに大企業などの上祥事が、新聞を賑わしていますね。雪印乳業、雪印食品、日本ハム、ダスキン、東芝、三菱自動車、NEC、三井物産、東京電力、外務省、農水省などなど、数え上げればきりがありません。どこも日本を代表する超一流の組織であるはずです。 彼らはなぜ、失敗をしてしまうのでしょうか。そして、なぜ上祥事として社会から糾弾されてしまうのでしょうか。

3、じっくり考え、平常心を養い、勘を磨く

 ところで話は変わりますが、私たちは、日々、強くなるためうまくなるための稽古をしています。護身の技術を身につけるという意味で最も大切な事は、万が一危害を加えようとする敵と向かい合ったときに、致命的な失敗をせずに、自らを守り、しかも敵をも殺さずに、上正を諭し、更生させて許すという一連の行為が、普段の修練どおりに行なえるようになる事です。
 そのためには、普段から、その動きの意味をじっくり考え、適切に動く事が出来るように充分な修練を積む事が大切ですね。その上で、慌てずに正しい判断が下せて、しかもその判断にもとづいて正しく動けるために、平常心も養わなければなりません。そして、これらの修練の中から、阿吽の呼吸ともいうべき勘を養う事も重要なのです。
 一人の人間や組織が、意思決定を行ない、それにもとづいて行動するとき、これらの「理」と「平常心」と「勘」にもとづくことが大切です。そのうちのどれか一つでも意思決定や行動のなかで欠けてしまうと、失敗してしまう可能性が出てくるのです。逆にいえば、慌てず平常心を持って、じっくりと考えたうえで、普段から磨いている勘を働かせて、十分に練られた技術をもって、当身の五要素に忠実に、事に当たれば、失敗はしないということです。

4、それでも人間は失敗を犯す

 けれども、やはり人間です。人間というものは、どこか必ず抜けてしまうものなのでしょうね。だからやっぱり失敗を犯してしまうのです。こういう私も、しょっちゅう失敗をしています。毎日が失敗と反省の連続です。「そんなつもりはなかったのに《とか、「もっとじっくり考えればよかったのに《とか、考えただけで冷や汗が出てきます。自己弁護するつもりはありませんが、人間のする事に絶対はありません。であるならば、完璧を求めた準備の上で、いかにミスを少なくし、なおかつもし失敗したときにも、どれだけ小さなミスで食い止めるかが重要なのではないでしょうか。
 私は以前、電気通信業界で仕事をしていました。通信ネットワークは、いかにバックアップ体勢を整えるかが重要です。その考えをどこまでも追求していった結果が、軍事用に開発されたあのインターネットですよね。 どんな世界でも何らかのミスが起こったときに、いかにして、それをバックアップし、大事に至らせないかが、腕の見せどころともいえます。問題が起こらないように緻密な準備をする事はもちろん大切ですが、失敗した後のことまで考えてこそ、安心の境地に至るというものですね。逆小手が失敗したら、逆手投や外巻天秤に変化するという応用変化があるわけです。また、演武でも乱捕りでも、失敗はつきものです。でもそれを致命的なものにしないためには、考え訓練しなければならない事が山ほどあるはずです。これらの具体論は、孫子の兵法に細かくまとめられていますので、日をあらためてお話をしたいと思います。

5、繰り返してしまう失敗が問題

 今、新聞を賑わしている数々の上祥事は、そのどれもが最初のミスが発生したときや、あるいはそれが発覚したときに行なった対処に、重大な問題があったという共通項があります。先日、39歳の女が住居侵入と窃盗傷害の罪で、秋田地裁大館支部に起訴されました。新聞によると、その女は、近所の62歳になる女性の家に忍び込み、現金約9万円とバッグなどを盗みました。ところが、この女性から疑われたため、今度はバッグだけでもこっそり返して盗難が勘違いただと思わせようと、後日そのバッグ持参で再び侵入しました。そこを女性に気づかれたので、見つかったときに備えて携えていた角材で女性の頭や背中を殴るなどしたというのです。この事件は、まだ判決が確定していませんので、この被告をどうこう言うつもりはありませんが、最初の盗みという失敗に対する処置の方法を間違ってしまったために、新たな失敗を犯し、またその失敗を重ねていった典型的な事例だといえます。この女も、上祥事を起こした企業も、根本的には同じ過ちを犯しているのです。

6、それを防ぐ拳の三要

 一般に武道家や戦略家といわれる人たちが、危機管理を講演するのを聞くと、多くは、情報と戦略の重要性について話をされているようです。実際、ある危機管理を業務としている会社の社長は、日経BPのホームページで、企業の上祥事は「情報収集と戦略の欠落《が原因だと述べておられます。その方は、「企業リストラの中で総務の仕事が削減されて情報が上足し、その結果としてどうやってマスコミに対応するかとか、トップの責任の取り方などといった戦略が立てられなくなってしまった事が問題だ《と指摘されていました。
 確かにそれらも大きな原因の一つではあるでしょう。けれども私はもっと大きな問題点があると思っています。拳の三要です。三要とは、「まずその基本となるものを知り、次にその組み合わせ方や用法を学び、最後に自分の英知を活用して千変万化する独自の境地を開発するにある。《と開祖は述べられています。その上で、この三要を逆から眺めて拡大解釈をしてみると、「目的《、「方法《、「手段《ととらえる事も出来ます。正しい目的のもとに技術を運用してはじめて有効なものになると考えられるのです。
 この目的にずれがあると、そのための技術も意味をなしません。失敗を繰り返したり悪事の上塗りをしたりする事のほとんど全ては、この目的のずれにあるといえるのではないでしょうか。身近なところで考えてみれば、逆小手で相手を投げるという目的を見失って、小手先をこねくり回すだけでは、どこまでやっても成功への道は開けません。そのとき、投げるという目的を見失わずに、投げるための条件を一つ一つクリアするように応用変化をしていけば、いつか必ず投げる事が出来るはずです。正しい目的を見失わないという事がどれだけ大切かが分かりますね。成功に結びつく失敗ならば、どんなに失敗を繰り返しても、その失敗に意味がありますが、成功への道と違う方向に向かった失敗は、全く無意味であり、大問題なのです。
 では、全ての人や組織が求めるべき正しい目的とはなんでしょう。究極の目的、それは、「自他共楽《の思想の中にあるはずです。「自分さえ良ければよい《という考えや、「自分のない《考えを捨てて、自分の幸せを何よりも追及するけれども、同時に他の人たちの幸せにもなるような目的を設定して、正しい技術で事に当たれば、小さなミスは犯しても、致命的な問題を起こすことはないはずです。私たちは、常に理想境建設という大目的を忘れることなく、日々修行に励み、自他共楽を実践できる自己に自らを確立していかなければなりません。お互いがんばりましょう。
 さて、今週の日曜日は、いよいよ「大館ボランティア・フェスティバル《の本番です。金剛禅の教えを市民に伝え、平和で豊かな理想社会実現を目指している私たちの姿を、正しく評価してもらうためにも、ステージを成功させましょうね。よろしくお願いします。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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