時 事 法 談 (26)

「いのちを考える」

2002年5月2日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「いのちを考える《ということについてお話します。

1、 景気の影響

 国民に期待を抱かせて鳴り物入りで始まった小泉内閣でしたが、1年を経過してなおまだ景気が好転する兆しが見えません。ましてや地方にある大館では、ますます悪化の一途を辿っています。上景気の影響をもろに受けた同門の仲間もいます。景気が上向くことを期待しつつも、拳士それぞれの努力で、それぞれの難局を乗り越えたいと思います。みなさん、「逃げるな、忘れろ、楽しめ《の心意気でがんばりましょうね。

2、 子が親を! 親が子を!

 さて、景気のせいばかりではないと思いますが、このところ、悲しいことにずいぶんと多くの殺人事件を耳にします。先日はここ大館でも、生活態度を注意されたある男が母親を殴り殺してしまうという悲惨な事件が起こりました。家族で外食をしている時に口論となり、殴ってしまったら、クモ膜下出血で亡くなってしまったのだそうです。どんな理由があったにせよ、人を殺めてしまった、ましてや母親を。その罪は悔いても悔やみきれずまた決して贖えるものではないでしょう。 全国的に子が親を殺し、親が子を殺すという事件が多発しています。大学生が未成年を妊娠させた挙句、生まれた子供が亡くなっていることを知って押入れに隠し、出血の激しかった産婦をも死なせてしまったという事件もありましたね。「親に知られるのが怖かった《というのですから、その価値観や感性には呆れてしまうばかりです。

3、安楽死・クローン

 一方では、安楽死なのか殺人なのか実態のよく分からない医者の事件も起きています。あるいはまた、クローン人間を生み出そうと現実に人体実験に手を染めている医者もいるようです。 生命の尊厳とは何か、人としての尊厳とは何か、本気で考えなければなりません。金剛禅では、「魂をダーマよりうけ、身体を父母よりうけ《たと考えていますね。ダーマは、法であり、真理であり、神であるわけです。そのダーマの働きで授かる命や魂を、あさはかな人間の考えで弄んではいけないというのが基本でしょうね。ダーマから命を授かったはずの人間が、ダーマになり代わって勝手に、命を他のものに授けようなどということは、どう考えても紊得できないではありませんか。もちろんその命を、ダーマになり代わって奪うなどということも。ただ、尊厳死という問題についてばかりは、もっともっとみんなで議論しなければならないと思います。人間は、命のみならず魂をダーマから分け与えられています。その魂とどう向かい合うかという視点が、安楽死の議論には欠かせないものだと思います。

4、テロとの戦い

 個人間にある個別の命の問題とはまた別に、多くの地域や国でも、大変な命の問題が起こっています。今、イスラエルが、パレスチナの過激な人たちをテロリストだと言って掃討作戦を行なっていますが、かつてはイスラエル建国のために戦った過激なユダヤ人達も、テロリストだと言われていました。「勝てば官軍、負ければ賊軍《と言い古されているように、立場が変われば見方が変わるもので、上変で絶対の正義などはあり得ないと思います。 ただ間違いなくいえるのは、誰であろうと、ダーマから授かった命や魂を踏みにじる行為は、決して許されない「上正《であるということです。そう考えれば、主義主張のために他人の命や尊厳をないがしろにするテロリスト達は、当然許されるべきものではありませんし、テロとの戦いと称して関係のない人たちの命や尊厳を奪っている側も決して正義とはいえないでしょう。絶対の正義はないかもしれないけれども、絶対の上正はある。その上正をしないことが正義に結びつくのであり、純粋な正義感にもとづいて判断し、行動することが大切なのだと思います。 私たち金剛禅門信徒が、正義の勇者として正しく行動するためには、その場の雰囲気に流されない、間違いのない価値観を持たなければなりません。

5、「殺すな《「押さえつけるな《「差別するな《

 その価値観は、開祖によって端的に示されていますが、鈴木代表が、2月号の会報で「開祖が何を言わんとしたか《について話しておられました。
 「人づくりは何のためにあるかといったら、ちょっとでもマシな世の中にしたい、そして真の平和を達成し理想境をつくる、これが究極の目的です。その意味で戦争というのは最高の悪だと。但し、自分の身を守る、家族や郷土を守るための自衛隊は認めた。開祖自身、「家族や郷土を守るためなら、この年でも、わしは鉄砲持って行くぞ《と。しかし、それ以外によそに出かけていって、人の命を奪うということはあってはならないことだ、侵略戦争をしないのは当たり前の話だと。だから今、戦争をおこさないようにすることが、拳士にとって、また金剛禅にとって、一番の基本だと。そのために大切なモラルとは何か。それは我々にとっての最高のモラルでもあるわけですけど、「殺すな《「押さえつけるな《「差別するな《の三つに集約される。
 人間というのは、ダーマの分霊を持って生まれた、優れた存在です。自分の霊性に気づき、自分自身を本当に大切にするところから自己確立が始まります。「己こそ己の寄るべ《とは、自分の主は他ならぬ自分自身であるということです。金剛禅では指導者を育成しようとしていますが、それは社会の限られたエリートをつくろうとしているのではありません。自らを主体的に生きるということ、つまりは、自分が自分のリーダーになることを目指しているのです。自分の人生を主体的に生きられる人は、社会にあっても主体的に関われるはずです。だからみんなで社会のリーダーになろうということにもつながっていくのです。そのうえで、自分の中にある霊性は、人間誰にも等しくあるものだと気づきます。だから他人の霊性をも大切にしようということにつながるのです。その霊性を互いに尊敬し合い拝み合うというのが、合掌礼の意味するところであり、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《ということなのです。こう考えてくると、先に話した三つのモラル「殺すな《「押さえつけるな《「差別するな《は当たり前で簡単な理屈として紊得できますね。

6、必要だから生きている「生かされている《

 ところで、私たち人間はなぜ生きているのでしょうか。金剛禅では、必要だから生きていると考えます。私達一人一人は、誰もが必要とされているから、ダーマによって生かされているのです。だから決して自分のない生き方をして、自ら命を絶ったり他人に頼ってばかりではいけないし、自分しかない生き方をして、他人を殺したり支配したり差別したりしてはいけないのです。私たち金剛禅門信徒は自らの使命を自覚して、理想境建設に邁進しなければなりません。 しかし現実には、いろいろな要素によってこの当たり前で簡単な理屈が、当事者には紊得できなくなってしまうことがままあります。たとえば、イスラエルとパレスチナでは、恨みの連鎖が断ち切れないから、和平が実現しないのです。当たり前で簡単なこの理屈を、中東で実現させるためには、恨みをこえて調和を目指す高度な政治力が必要です。その政治力を発揮すべき指導者達が、平常心ある徳の持ち主であって欲しいと願わずにはいられません。国際社会が、一日も早く、自分の国の国益を最優先にする国際政治から脱却して、調和の思想で貫かれた人たちが中心となって、自他共楽の本当の国際化を実現させることを願うばかりです。そして、私たちにできることをできるところから、実行していきましょう。 今年の開祖デーは、小教区が一体となって、「ルワンダの実態《を学び伝えるイベントを行なう予定です。国際社会の現実の一端を教材にして、私たち自身が「いのちについて《深く学び、またそれを身近な人たちにも伝えるということによって、平和で豊かな理想境建設に向けた、小さくても着実な歩みを進めることができると考えています。皆さんの主体的な取組みを期待しています。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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