時 事 法 談 (23)

「同志について」

2002年2月5日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「同志について《考えてみましょう。

1、 信頼と尊敬で結ばれた強い絆

 人間は、人と関係しあいながら生きて行く存在です。だから他人とのつながりが信頼と尊敬で結ばれたものとなれば、どれだけ人生が豊かで幸せなものになるでしょう。例えば夫婦関係、もしそこに尊敬や信頼がなかったとしたら、家庭生活はとても暗いものになるでしょう。学校や職場に、たとえ嫌な奴がいたとしても、心からの尊敬と信頼で結ばれた友達が一人でもいれば、それは素晴らしい生活になるでしょう。たった一人でもそういう友情で結ばれた友があれば、どんなに辛く苦しい毎日でも乗り越えることができるはずです。私は学生時代に、体調を崩し気力が萎えていたことがありましたが、そんなときに友達は大きな力をくれました。彼らとの尊敬と信頼で結ばれた友情こそが、私の宝でもあります。人生の全てのステージで、そういう関係を築くことができたとしたら、この上ない幸せだとは思いませんか。お金では買えない、無上の喜びです。 そういう信頼と尊敬で結ばれた強い絆を築くために、自己確立に励み、他人から信頼され尊敬される人間になるように精進修行することが大切なのですね。

2、 受けた恩義を返せないこともある

 人間関係は貸し借りで深まると、先月おはなししました。だから受けた恩義にはなんとしてでも報いて返さなければなりません。けれども実際には、頂いた恩に対して、その人に報いることができないということもままあるのです。例えば親子の関係を考えてみましょう。親は無償の愛を与えつづけて子育てをしてくれますが、親の愛情を本当に実感できるのは、やはり自分が親になったときなんです。そのとき、親の恩に報いようと親孝行を考えても、もう既に亡くなってしまった後ということもよくある話です。もちろんご存命ならば何としてでも親孝行をすべきですが、それが叶わなかった人はどうしたらいいのでしょうか。日々、信条で「身体を父母より受けたることを感謝し報恩の誠をつくさんことを期す《と唱えていますが、親を亡くした拳士は、この信条に則って生活することができないのでしょうか。先祖祀りを本旨とする宗教では、きっと立派な墓を立てて仏壇を毎日拝めばよいとか、あるいはご本尊様に寄付をすればよいなどというかもしれませんが、我々ははたしてどうしたらよいのでしょうか。 また、最近ではあまり歌われていないのかもしれませんが、「仰げば尊し《には「我が師の恩《という歌詞がありますね。先生から受けた恩義も、私達は直接お返しすることが難しいですよね。どうやったら報いることができるのでしょうか。 対等な友人同士であっても、出会いの先には別れがありますから、恩義を返せないまま離ればなれになってしまうことだってあるでしょう。ましてや、魂を受けたダーマへの報恩なんて、いったいどうしたらいいと思いますか。 こんな時には、全く別の人に対して、自分が受けた恩義を授けることで恩に報いたと考えればいいのです。人間は感謝の心をもって生きて行くとき、その人の恩は一生忘れないということと同時に、その思いを他人への奉仕という形で報いるべきなのです。自分が受けたのと同じように、他人にも行うという気持ちを持って生きることが、本当の報恩ということだと思います。

3、 社会の広さは自分でつくる

 さてここで、少し部内に目を向けてみたいと思います。 昔少林寺では、遠くに未知の人が卍のマークを着けているのを見ると、すぐに駆け寄って合掌礼をした途端、昔からの友達のように親しくなっていました。けれども最近は、本山の講習会などでも、知らない人同士は合掌礼すらしようとしないことが多くなっています。同じ道院の中だけに仲間がいて、見ず知らずの拳士は、全く関係のない別世界の人のようです。自分で勝手に自分の社会を小さく限定し、そこからはみ出した者は無視する生き方が増えているのです。 報恩とは、自分以外の全てに対して行うべきものなのに、自分が勝手に線を引いた小さな社会の中だけで、人間関係を完結させようとしています。 武専教師の先生方が、なぜ自分の道場とは関係のない全国の拳士を真剣に育てようとしているのでしょうか。きっとそれは、開祖や先輩から受けた恩を他の人に返そうとしてくれているのだと思います。そうすることで、みんなで幸せになろうという金剛禅運動が、ますます大きく盛り上がり、開祖の思いが着実に実現できると信じていらっしゃるからではないでしょうか。社会の広さは自分でつくるものです。狭い考えに固執し、自分の道院の外を見ない生き方もあれば、グローバルに物事を考え、全てを認めようとする生き方もあります。開祖の教えは、調和の思想です。広い視野を持ち、調和を図ろうとする生き方をすべきだと思います。

4、 同志ということ

 まして我々金剛禅門信徒は、等しく師家と盟盃を交わした金剛禅運動の同志なのです。同志とは、志を同じくする者という意味です。「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《考え行動できる人間になろうと自己確立に励み、平和で豊かな理想社会をみんなの力で実現させようという崇高な志を持つ、強い絆で結ばれた仲間であるはずなのです。我々の仲間は、誰もがみんな拝み合い助け合いの素晴らしい人間関係を身の回りに築いているはずです。だから、誰もがみんな、尊敬され信頼される人ばかりのはずなのです。 でも、現実は違います。それならば、嘆いていないで、まず自分がそういう人間になろうではありませんか。みんながそう思えば、いつか必ずそういう組織になるはずなのですから。他人を変える事はできませんが、自分は変えられます。自らの徳を高め、尊敬され信頼される人間になろうとみんなで努力しましょう。まずは大館三ノ丸道院から。まずは自分から。

5、 青幇

 開祖は、青幇を理想の姿とされていました。青幇とは中国の秘密結社です。1949年に中華人民共和国が成立する前には、いたるところに無数の秘密結社が存在し、そのメンバーは決して珍しいものではなかったといいます。一時期には、上海で犯罪集団として存在した一部の秘密結社もありましたが、一般的には、地域の中にあって、兄弟愛、平等、互助の精神に死をこえて忠誠を誓い合った集団だといわれています。秘密結社は、部外に対して内面を秘密にした存在であり、誓約を伴う加入儀礼を持っていて、その儀礼を通ってきたメンバー同士は、知り合いであろうがなかろうが、それとは関係なく「兄弟《であるとして、広域的な相互扶助を実現させるための社会関係を作り上げていたようです。陳良老師は、平和的手段で社会を改造しようという趣旨で成り立っている「青幇《の一つである「在家裡《に所属していたそうですが、これは、職業を問わず階層を越えて、互いに助け合い便宜を図りあうことを目的にして結成されたものです。また、金剛禅総本山少林寺の前身となった「黄卍教団《というのは、秘密結社「世界紅卍会《に因んだものです。「世界紅卍会《というのは、慈善、博愛的な性質を持っていて、当初は、主に災害にあった人たちの救護にあたっていたといいます。その活動の拠点となっていたのが「道院《と呼ばれるものだったのです。ここでいう「道院《と少林寺で言う「道院《は意味が違いますが、いずれにしてもこれらには、「幇のように互いに助け合う正義の団体にしたい《という開祖の願いが込められているのです。

6、 合掌礼一つで最大限の便宜を図りあう

 華僑が、同朋のためにみんなで助け合う強力な団結力を誇っているのには、この幇の影響があるのかもしれません。また、アメリカでは、有史以来危機を迎えると愛国心が強まり、国民が団結してその危機に立ち向かってきました。その善悪は別として、911でアメリカ国民が一致団結した姿は恐ろしいほどです。それらに対して、日本人は、何事もないときは群れて行動する割に、何か事が起こると、すーっと誰もいなくなってしまいますよね。まるで、羊の群れのようです。 この現状に対して、開祖は、狼の群れをつくろうとされました。一人一人が力を持って行動できない羊のようでは意味がないが、一匹狼でも駄目なんだと。自信と勇気と行動力と慈悲心を併せ持った正義感の強い人間が、一致協力して、正直者がバカを見ない平和で豊かな世の中をつくろうとされたのです。 その開祖の思いに共鳴して集まっている同志なのですから、一切の差別なく私達は合掌礼一つで最大限の便宜を図りあう、そんな心強い青幇のような組織を作り上げたいじゃあないですか。

7、 みんなで社会のために働きかけよう

 私達が、強くてやさしい人になろうと努力するのも、強力な団結力をつけようとするのも、その目的は、社会の上正にあえぐ弱者を救い、「何人も権力によって支配されず、支配せず《という平和で豊かな理想社会を実現させるためにあるのです。そして、みんなが拝み合い助け合いの素晴らしい人間関係を築けば、これほど幸せなことはないじゃないですか。 同志相親しみ相援け相譲り、協力一致して社会のためにできることをできるところから働きかけていきましょう。 まずは、道院の中から、小教区、そして秋田県、ひいては全国、全世界へとこの輪を広げていきましょう。それぞれが、グローバルな視点で、調和の思想を持って、それぞれの価値観と判断で実践して行かれることを期待しています。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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