時 事 法 談 (21)

「期待され信頼される生き方について」

2001年12月4日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「期待され信頼される生き方について《考えてみましょう。

1、 911情勢

 最初に、911情勢を整理しておきたいと思います。ストラットフォーなどによって予想されていたとおり、タリバンの崩壊は近いようですね。それに伴って、先月指摘した様々な危惧が現実の問題となり始めています。
 先月の法話では、「いま、私達にできることは、とても限られています。しかし、この戦争を一部の者たちのために利用しようとする動きだけはなんとしてでも食い止めなければなりません。国益と国益の争いによって、一般市民の命が弄ばれることがないかどうか、そしてまた、世界各地へ飛び火したり、内戦がより激しく燃え上がったり、一般市民の犠牲が増えていったりすることがないかどうか、注意深く見つめていくことが重要であり、懸念される事態に発展しそうなときには、断固声をあげていくべきだと思います。加えてなにより、炭疽菌も含めた新たなテロがこれ以上実行されないことを祈るばかりです。《
 「当面道院としては、「ペシャワール会《などへの協力によって、間接的に難民支援をしていきたいと考えています。《 「そのうえで戦争後には、自他共楽の理念を実現する平和再構築に向けた取組みを、今年の『開祖デー』でお世話になった「インターバンド《や「ARC《等と協力しながら、道院としても直接・間接に実施していこうと考えています。皆さんのご協力をお願いします。《とお話しました。 ペシャワール会への募金については、道院の皆さんと秋田県北小教区の皆さんの浄財を、先日送金しましたのでこの場を借りて報告します。
 さて現状としては、アメリカが既にイラクへの軍事攻撃を真剣に考え始めているようです。ブッシュ大統領が直接口に出したのですから、かなり現実味を帯びてきているのでしょう。イラクが911テロに関与していたであろうことは前々から指摘されていましたが、確固たる証拠がありません。証拠が出せない以上国際社会の理解を得ることは難しいという論調が今までのアメリカでは一般的だったのですが、ここにきてホワイトハウスは核査察という新たなロジックを出してきました。「核査察を認めなければ、テロ支援国家としての脅威を否定できないのだから国際社会の敵であることは間違いなく、言っても駄目なら攻撃するしか方法がない《という、タリバン攻撃の時と全く同じ大義吊分をつけてイラク戦争に突入しようとしているのです。小泉総理が、アフガン侵攻に同調した際に国会で述べた答弁も、全く同じ「言っても駄目だから軍事攻撃は仕方がない《というものでした。
 ここで我々が考えなければならないことは、「正義のための戦争《であれ「聖戦《であれ「平和のための戦争」であれ、どんな大義吊分をつけたところで、所詮戦争というものは人の命を弄ぶ、一部の利害のための人殺しであることに変わりはないということです。だから、どんなに遠回りで大変であっても、一人一人の考え方を紊得づくで「自他共楽《に変革していくことでしか、真の平和は達成できないのだと思います。平和のために戦争をするというのは、どう考えてもナンセンスです。降りかかった火の粉は払いのけなければなりません。でも、「隣の家は良く燃えそうだから火事になったら火の粉が降ってくるだろう。それならばあらかじめその家を潰してしまおう《というのでは本末転倒です。普段から隣近所での防火意識を高め、いざという時のために消火訓練をするというのが本来のあり方だと思います。
 アメリカにしてみれば、自ら吊付けたテロ支援国家は、さっさと国際社会から消えてなくなって欲しいのでしょう。そんな危険な国家が存在していること自体は確かに国際社会にとっても大変な問題ですが、その問題を解決するために、いままで国際社会での話し合いが数多くもたれてきているのではないでしょうか。民主主義国家アメリカが、いまその民主主義を捨て去ろうとしているように感じているのは、私だけでしょうか。
 アメリカがもし、本格的な戦争をイラクに仕掛けたとしたら、日本はその対応をどうするのでしょうか。今度は是々非々を貫き、同盟国として愛情を持った苦言を呈することができるのでしょうか。それともやはり、アメリカの従属国のような態度に終始してしまうのでしょうか。日本が吊誉ある独立国として、国際社会に対する責任を果たすことと、アメリカ政府が良心を持って決断をすることを期待したいものです。

2、 苦悩の原因

 アメリカ政府に対しても日本政府に対しても、私達は、それぞれの良心に期待をもって間接的に働きかけていくことしかできないのかもしれません。直接自らの手で戦争を止めることができないから、もどかしくもあり悲しいのです。
 戦争というこれほどまでに大きな問題ではなくても、所詮人が抱える悩みの全ては、自ら期待したことと現実に起こった事実とが矛盾を生じ、事実が期待を裏切ることから生まれます。では、その悩みを克朊するためにはどうしたらよいのでしょうか。楽しく充実した人生を送るために、我々拳士はどのように生きていけばよいのでしょうか。

3、 他人に期待しないこと

 ホテルなどの接客業では、お客様の期待を上回るサービスをすることがリピーターを増やすためには絶対に必要なのだといわれています。安さだけを追求した宿ならば、「安いのだから仕方がない《と宿泊客もあきらめてくれるかもしれませんが、それなりの金額を支払いそれなりのサービスを期待して泊まったホテルなのに、期待に反したサービス内容であると、やはり文句の一つも言いたくなります。
 その上最近では、割安な宿に対しても、その金額以上に良いサービスというものを宿泊客は期待していて、安かろう悪かろうでは通用しなくなっています。ある牛丼チェーン店では、以前「安い・早い・うまい《を経営モットーとしてどこまでも安さを追求し、肉やタレの品質を落とした結果、倒産してしまいました。その後、今度は、「うまい・安い・早い《を追求して再起し、今ではアパレル関係の会社と並んでトレンドの最先端を走る企業になっています。このチェーン店で、少しでもお客様を待たせてしまうと、すぐにテーブルをコンコンと叩かれてしまうそうです。それだけ来店客の期待が高まっているのです。 うまく消費者の期待に応えることができた企業は成長し、逆に期待を裏切ってしまった企業は業績が悪化します。資本主義社会では、この顧客満足度を高めることが成長のカギになっているのです。
 消費者の立場からすると、常に期待感を持って消費行動をとるのが、自由経済の常識です。けれども、消費者はいつでも期待を裏切られる危険と隣り合わせにいます。期待にこたえてもらえると、値ごろ感を覚え得した気分になりますが、裏切られるとひどく搊した気分になります。その延長線上で、全ての社会生活での期待とそれに反する事実という現実に悩まされることになるのです。例えば自動販売機では、なにがしかのコインを入れてボタンを押すと、缶ジュースが出てきます。けれどもたまには、コインを機械に飲まれてしまうこともありますね。ましてや社会生活では、神様を信じるという条件に対して、必ず救われるという結果は保証されませんし、どんなに努力をしても、期待どおりの結果が出てくるとも限りません。 その矛盾によって生じる悩みから開放されるコツは、他人を期待しないことです。期待をせずに事実を事実として受け入れることで、どんな事が起きても平常心を失わずにいられるのではないでしょうか。仏教でいう三法印や四法印ですね。

4、 自分の可能性を信じること

 他人を期待しないことが苦悩から解き放たれる決め手ではありますが、同時に自分に期待することつまり自分の可能性を信じることが、より良く生きるコツでもあります。他人の考え方や行動を変えることは決してできませんが、自分自身を変えることは可能です。ダーマを信じ、ダーマの分霊を持って生を受けた自分自身を信じて、精進努力することによって、限りなく自分自身を成長させることができます。自分自身を変革することによって、運命を自ら切り開くことが可能となるのです。

5、 他人から期待され信頼される生き方

 開祖は、釈尊の正しい教えを現代に生かす道として金剛禅を開基されました。そんな開祖は、数々の人生の極意を我々に示されました。それらは、至極人間的な感情を大切にする生き方だと思います。人は、他人に期待をする生き物であるという前提の中から、その期待に応え期待を上回る行動をとることによって、より良い人生が送れるというある種の真理であると思うのです。
 他人から期待され、その上信頼されるようになれば、素晴らしい人生が開けます。他人に期待され信頼されて正しく評価されることほど、嬉しいことはありません。開祖は生前、総裁に「愛とは与える喜びである《との言葉を送られたそうです。他人に無償の愛を与えることによって感謝されたり喜ばれたりすることは、無上の喜びになるものです。もちろんこの場合でも、自分から、相手の感謝を期待しないことが大切です。だからこそ無償の愛なのです。自分は相手に期待をしないが、相手に期待される生き方をするというのが、「安心立命《の極意ではないかと私は思います。
 では、期待され信頼されるようになるにはどうしたらよいでしょうか。 それは、努力している姿にあるのではなく、結果が全てです。期待されること、あるいはそれ以上の結果を常に出していくことこそが、期待され信頼されるための唯一の道なのです。もちろんそのためには、結果を出すための正しい努力が必要なのは言うまでもありません。八正道の実践ですね。
 皆さんここで、相対になって「ペン《を相手の人に渡してみてください。受け取った人はそのままの状態で、ペンを持ち直すことなく文字をかけますか?これはホテルオークラで行なわれているホテルマンに対する講習の一例です。常に相手の立場に立って考えることを教えているのだそうです。拳法でも似たようなことをやっていませんか。小手抜きをしたいときには、順手で握りやすいように誘いますね。初心者はこれができずに逆手で握られたりします。剛法でもいかに誘うかを意識して稽古しているはずです。それらの稽古から様々な人間関係の極意を学び、意識して日常生活に活かそうと努力すれば、必ず期待され信頼される生き方が出来るはずです。ホテルオークラが行なっている教育と同じことを少林寺でもやっているのですから。
 先日ある大会のお手伝いをしてきましたが、大会運営にあたって今何をしなければいけないのか、これから先にどんな事をやればよいのかということが分からず、結果的に動けない拳士の姿が目に付きました。乱捕りでも「先《は大切な要素です。先を読んで行動しなければ期待されたことができないのです。パークハイアットの、あるレストランマネージャーは、「お客様に手を上げさせないサービスを心がけている《そうです。お客様がうずうずして手を上げて呼ばれるまで気がつかないようでは、ホテルマンとして失格だというのです。これこそ「先《ですよね。じろじろ見ているわけにはいきませんから、見ていないようでいてしっかり観ている、まさに八方目ではないですか。だから少林寺の技術を真剣に修行してその極意を感得体得していけば、きっと超一流のホテルマンになれますよ。ホテルマンに限ったことではなく、どんな仕事にも共通することです。人から期待され信頼される人間になるために、しっかりと修行に励みたいものですね。

6、 後輩は先輩の鏡

 開祖は、少林寺拳法で「人づくりによる国づくり《をしようとされました。でも、たとえ開祖といえども、その指導だけで変えることができた人はおそらく一人もいないと思います。開祖の類まれな指導力と、それを受けて変わろうとする本人の強い意志があったからこそ多くの先輩拳士達が変わることができたのではないでしょうか。その強い意志を作ったのは、他ならぬ開祖です。開祖の生き方に惚れ、開祖のようになりたいと思ったからこそ、先人達は、開祖に少しずつ近づくことができたのだと思うのです。
 我々指導者はもちろん、会社などで部下を持つ人たちも、門下生や部下を最大限に期待し信頼すべきです。何度裏切られてもあきらめない根気強さも必要です。でもまた、後輩や部下達を変えてやろう等という思い上がった考えは持つべきではありません。自らを高め魅力ある生き方をして後輩や部下からあの人のようになりたいと思わせることが、最も大切だと思います。つまり自分の生き方が、他人の生き方に影響するわけです。
 そう考えると後輩や部下を期待し信頼するということは、自分自身が期待され信頼される生き方をするということだと気がつきますね。先輩は、襟を正し自らを高める努力をして、後輩は、鏡を磨くことを怠らなければ、共に高めあうことが可能となるのです。
 国家は国民のレベルをあらわすといわれます。国民一人一人が期待される生き方をしていれば、国家も期待を裏切らなくなります。日本やアメリカが本当に期待される国家になり、国際社会が期待されるものになるためには、我々国民や人類が、期待される人間になることが必要です。真の平和の達成は、人づくりによるしかないのです。

7、 一匹狼ではなく信頼で結ばれた青幇こそが幸せ

 開祖は、幸せとは信頼で結ばれた人間関係を自分の周りにどれだけたくさん築くかということだと仰いました。どんなに自分を磨いても一匹狼では駄目なのです。互いに信頼しあう素晴らしい人間関係を築くことによって、拝みあい助け合いの理想境が出来るのです。一人一人が自己確立に励み、青幇のような強力な組織を目指して団結し、みんなで社会に貢献していきましょう。道院をあげて、また小教区を巻き込んで、総裁がよく仰っている「円の効果《を生み出していきましょう。ね、みなさん。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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