時 事 法 談 (17)

「驕りについて」

2001年8月2日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「驕りについて《考えてみましょう。

1、 先輩と後輩

 一般に大学拳法部の多くでは、常に先輩後輩の関係を意識させられ、厳しい縦の関係が構築されています。そんな環境にいることから、当たり前のように同期で助け合う横の絆が強く結ばれていくこともよくあることです。しかし、時代によってこの傾向には波があり、ひどい封建体制に陥ってみたり、逆に上下の区別もないただの「なかよし《クラブになってみたりするのです。開祖ご存命中にも、ある時期には、悪習撤廃と称して、悪しき封建関係を廃止しろと呼びかけられ、また別の時期には、規律正しい部のあり方を指導されました。 開祖の法話は、対期説法です。右に行き過ぎれば大きく左に振って、また左に行き過ぎたときは、右に大きく舵をきるのです。要は、そのなかから私たちが中道を見出さなければなりません。その時々の開祖の言葉じりを捉えてそれだけで判断すると、大きな落とし穴にはまることになります。 先輩と後輩の縦の関係は、ある種絶対のものです。たまたま先に生まれ、たまたま先に入門したというだけのことですが、それはもう運命ともいえるかも知れませんね。この運命の中で、後輩が先輩を敬い礼を尽くすのは、ひとのあり方として当然のことです。釈尊も、「弟子たるものは、師来るときは座を立ちて迎え給仕し、柔にて供養し、敬んで教えを受けるべし《と仰いました。けれどもそれは一方的なものでよいはずがなく、「先輩は後輩を侮るな《ときつく戒められています。釈尊はまた、「師匠たる者は、自ら能く心身を調えたる如く弟子にも調えさせ、自ら得たるを獲させ、総ての学術を正しく説き教え、友達の間にその吊の聞こゆるようになし、諸方を守護すべし《とも仰ったのです。
 話は逸れますが、少林寺における師弟関係は運命ではありません。弟子は師を選ぶことができるし、師も弟子を選ぶことができるように制度化されています。もし私と馬が合わないと感じたならば、遠慮なく他の良き師を求めて転籍してください。私も皆さんから見限られないよう日々研鑚に励みます。 話を元に戻しますが、少林寺では、たてのきっちりとした規律がある中で、先輩も後輩もない相互扶助の横の関係をしっかりとつくろうとしているのです。

2、 教えることと教わること

 教えることは、即教わることに通じます。自分が習ったことを人に伝えると、教えているひと自身それを整理して、身につけることができます。また、教えさせていただくことで、様々なことを相手から教えられるものです。教えてやるという高圧的な態度では、決して見えないことが、教えさせていただくという姿勢によって見えてくるのです。まして、教える側も教わる側も、ともにダーマの分霊を身に受けた尊い存在です。合掌礼の精神である拝みあいの心をもって、教え教わる関係を築きたいものです。この教え教わる関係は一方通行ではなく、組手主体の中で、互いに教えあうというものです。道場は、拝みあい、互いを立てあう中から、かけがえのない人間関係を築く場になるはずですし、道場を離れた日常生活での人間関係を築くための稽古にもなるはずです。

3、 指導者とは

 「指導者とは、道を指し示し自ら先頭にたって行動する人《だと開祖は仰いました。有段者になれば、みんな指導者の卵です。率先垂範するためには、日々のたゆまぬ精進が絶対に必要です。諸行無常、怠らず励みたいものです。他人を変えることはできなくても、他人に影響を与えることはできます。いろいろな出会いによって影響を受け自分が変わったということは、誰でも経験があるはずです。他人を変えてやろうという押し付けではなく、自らの生き方から自然に醸し出される影響力によって、指導力が発揮できる人になりたいですね。

4、 自分の立場の勘違い

 人は、自分を客観的に見ることがあまり得意ではないので「先生!先生!《「先輩!先輩!《といわれている間に、自分が偉くなったように錯覚してしまいやすいものです。また職場での地位や稼ぎが良くなると、周囲はその地位や経済力に頭を下げるようになります。大企業に勤める40代から50代の社員の多くはもし転職するとしたら、年俸100万円以上の昇給を期待しているそうです。しかし現実には失業者が338万人にも達する大変な時代です。40歳を超える人の再就職が困難なことは、毎日の報道からも明らかです。同じ年代でも中小企業等に勤めている人は、給料が下がることは当たり前だと思っているようです。自分の力と、組織の力を勘違いせず、驕ることなく正しく自分自身を評価することはとても大切なのです。 ところで、アメリカは世界唯一の超大国としてリーダーの地位を築こうとしていますが、ブッシュ政権の強硬なやり方が各国の批判を招き、国連など国際政治の表舞台から締め出されはじめています。重要な会議の委員長はおろか委員としてもアメリカがメンバーに入れないものが多くなってきているのです。力だけが正義であるかのような厳しい外交の現場でも、強大な力を背景として自国の利害だけを一方的に主張するやり方が通用しない時代になってきたようです。国際世論が、とても大きな力を持ち始めているのです。 選挙が終わりましたが、小泉総理も、国民の異常なまでの人気に驕ると、間違った指導力を発揮しかねません。国家も個人も驕りをもたず自他共楽の精神で事に当たらなければなりませんね。

5、 青幇のような互助

 開祖が求められた組織のありようは、まさに中国の秘密結社である青幇です。合掌礼一つで最大限の助け合いができる、昔の少林寺はそんな組織でした。わが道院や小教区も一日も早くその本来のあり方を実現しなければなりません。「同志相親しみ相援け相譲り《驕りを排して純粋に「協力一致して理想境建設に邁進《しましょう。そのための一つの行事があさってからのブロック合同少年キャンプです。皆さんよろしくお願いしますね。

6、 強くてやさしくて賢い狼の群れ・・・理想境建設

 ここで、会報に掲載された鈴木代表の言葉を引用させていただきます。 『人間社会において一人でやれることなんて、基本的には何もない。しかし、皆が力を合わせたら、できないこともできるようになります。開祖は「私は一匹狼を育てる気など毛頭ない。かといっておどおどした子羊の群れを育てる気もない。育てたいのは、強くて優しくて賢い狼の群れなんだ《と事あるごとに言っていました。「一人ででもやれるが、みんなでやろう《ということなんです。実は今、それが一番薄くなっていると感じます。それぞれが一生懸命に人づくりをやっているのは間違いないのですが、横のつながりとなると薄れてきていると。』 人づくりによる理想境建設という崇高な目的に向かって実践している少林寺ですが、組織の目的やあり方が崇高であることと、拳士の一人一人が徳を持っているかどうかということは、全く別の問題です。驕りによって間違った正義感を振り回すことのないよう、拳士同志協力一致して行動していきましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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