時 事 法 談 (13)

「力の伴わない正義は無力なり」

2001年4月3日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「力の伴わない正義は無力なり《ということについて、考えてみたいと思います。

1、 千葉県知事選挙にみる国民意識の変化

 つい先日千葉県知事選挙が行なわれ、既成の党派に属さない新たな知事が誕生しました。長野や栃木などに続いて、普通の市民が選んだ普通の市民を代表する首長が続々と誕生し始めています。特に、無党派層といわれる人たちだけでなく、今まで既成政党で中心的役割を果たしてきた地域のオピニオンリーダーたちが反旗を翻している現状を見ると、日本は変わり始めているといえるのかもしれません。地方から国政へ、波は広がる気配を見せています。 今後は選良が、自他共楽の理念にもとづいた感性豊かな政策実現にむけて、勇気と自信と行動力を発揮してくれれば、日本の将来も明るくなるでしょう。ただしそのためには、アンチ既成政党というだけの候補者に「ノー《といえる良心と自他共楽の理念を、市民一人一人が身につけなければなりません。理想境建設に向けた金剛禅の布教活動がますます重要になってきています。
 さて翻って秋田県知事選挙では既成政党同士の票の奪い合いが行なわれていますが、首長に選ばれる人には、永田町の論理に流されない県民の側に立った県政を期待したいものです。

2、 泣き寝入りをしないで「怒れる若者になれ!《

 市民が自らの意思を表明することで、県政も変えることができます。「いやなことはいや《、「駄目なことは駄目《とはっきりと主張することがとても大切なのです。「義を見てせざるは勇なきなり《といいますが、上正を絶対に許さない「怒れる若者になれ《と開祖は仰っていました。勇気をもって正義のために立ち上がりましょう。拳士たるもの、大は世界の情勢から小は家庭内のことまで、見て見ぬふりに慣らされてはいけません。

3、 朝鮮半島情勢と安全保障

 ところで半月ほど前に当支部ウェブサイト「拳士のひろば《で一つの論題が提議されました。あまり反響が大きくなりませんでしたが、この場で私なりの答えを出しておきたいと思います。 その議論は、「朝鮮半島情勢が軟化し統一に向けた平和への流れがある中で、なぜ韓国軍は未だに北朝鮮をその仮想敵国と位置付けているのか《ということでした。 平和は、誰もが望むものであるし、その流れを阻害するものはことごとく排除されるべきものであろうと思います。しかし、安全保障の考え方からすれば、危険予知は絶対に必要であり、予見されるあらゆる事態に対応できるように訓練しなければならないことも明らかです。現状として予見される事態があるからこそ、対北朝鮮訓練も必要上可欠なのではないかと私は考えています。もちろん守主攻従の(決して先制攻撃はしないという)考え方をもってのことですが。 少林寺拳法を護身の技術としてとらえたとき、この危険予知と、予知された危機への対処策の検討・訓練は絶対要件です。拳士は、道場での修練においてそのことを学び、日常生活に活かすことが大切なのです。事件・事故から身を守る術や、企業の危機管理、果ては国際的な安全保障に至るまで、大いに展開応用させなければ、拳法を修行している意味がありません。

4、 第三種お神楽

 いまどき、街中でドツキあいのけんかをする事は許されません。しかし、どんな時代であっても、命や尊厳を脅かされたときには、降りかかる火の粉を払いのけなければなりません。護身の技術を学んでいるのですから、対処の仕方くらいは、普段から危険予知し検討・訓練しておいてくださいね。 まず護身術の最も大切なことは、「君子危うきに近寄らず《です。開祖も護身の極意は、「戦って而して後に勝つのではなく、未然に防止あるいは避待する事にある。《と書かれています。その上で、どうしても避けられない場合、相手を怪我させずに取り押さえ、改心させて許すという一連の流れが必要です。やるとなったら、相手が戦意を喪失するまで徹底的にやらなければなりませんが、どんなにこちらに理があり、相手が無法者であっても、命までとらない優しさが大切です。法的な理由からだけでなく、人間としての生き方の問題ですね。いつかは、無法者の幸せも願える心の広い人間になりたいものです。 けんかは、如何にそれを収めるかが、どう戦うかよりも大切なのです。
 さて第三種お神楽においては、まず勝ってから戦うということが必要です。戦ってみてから勝ちを求めるのでは、結果はどうなるか分かりません。敵を知り、どう戦いどう収めるかを考えた上で、戦いに臨みます。作戦を立てるときには、あらゆる力を利用します。頭の力、口の力、組織の力、人の力、地位の力、司法の力、立法の力、行政の力、経済の力、など様々です。自分を頼りにすることは大切ですが、同時に仲間と団結することも必要です。少林寺が他から恐れられたのは、その強固な団結力によるのですから。そしてそれらの力の最後に腕力があるのです。腕力だけでは、決して勝つことはできません。 戦略戦術を練って戦いに臨むと、胆が決まっておのずから気迫が満ち溢れてきます。これによって、戦わずに勝ちを収めることもできるようになるのです。拳の三要「技・術・略《の話ですね。 また、万一実力行使が必要なときには、必ずこちらに理があり相手が一方的に悪いという状況にしてから行うべきで、なおかつ、証人や証拠固めが必要です。もし間違ってやりすぎてしまった場合に、こちらが逆に犯罪者にならないための方策です。 そしてもちろん、いざ戦っても負けてしまったのでは仕方がありませんから、普段の稽古にもっと力を注ぎましょう。勝つだけならば案外簡単です。稽古で身につけた自信と、そこから生まれる勇気と、決心覚悟さえあれば勝つことはできるでしょう。ただし、相手に怪我を負わさせず、もちろんこちらも安全に、その上改心させる説得力と許す度量を身につけることが大変なのです。お互い精進しましょう。

5、 「力だけが正義であるかのような厳しい国際政治《の現実

 今回森総理は、北方領土の問題について時計を逆さまに回してしまいましたが、結局は、ハッタリであれ何であれ、あらゆる力を利用して領土交渉という戦いに臨んだロシアの方が適切な戦略を立てて、日本の下手な戦略を打ち負かしたということだと思います。北方領土は、日本政府が国土として見出す価値よりも、ロシアが地政学的に必要としている価値の方が大きいのではないでしょうか。そのため、必死で戦略を立て、あらゆる力を使って手に入れようとしているのだと思います。国際政治では、力のあるものの論理が正義としてまかり通ることが常なのです。

6、 命や尊厳と平和を守るために必要な力の裏付け

 正義の伴わない力は暴力ですが、自らの命や尊厳を守るためには国際的にも個人的にも、やはり力が必要です。我々一人一人が力を持った上で、その力を正義のために結集し運用することによって、理想境を実現させることができるのではないでしょうか。 口頭禅ではなく、行動の思想といわれる開祖の教えを体得実践できるように、共に修行に励みましょう。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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