時 事 法 談 (12)

「グローバルに考えてローカルに行動する」

2001年3月1日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「グローバルに考えてローカルに行動する《ということを、考えてみたいと思います。

1、 「会報少林寺拳法《のインタビューを受けて

 去る3月15日に会報の取材を受けました。若手道院長をクローズアップしていく企画だそうで、創刊に当たり「企画の実験台になってくれ。《と言われてインタビューを受けることになりました。もっと素晴らしい方がたくさんいらっしゃる中で、他人様に誇れるようなことを何もしてこなかった自分に何ができるのかと思い悩みながら。 今回インタビューを受けて、はじめて自分の人生を振り返りました。会報にどんな内容が掲載されるのかはわかりませんが、今日は自分の内面について少しお話したいと思います。

2、 ダウン症の子供との出会い

 私の入門支部である小磯学園支部に、あるときダウン症の子供が入門してきました。彼と向かい合う中で、とても多くのことを学びました。特に、一人一人が違うということと、みんな同じだということを。 そんな中から、自分が先に相手を尊敬し信頼し大切に思うことで、相手の信頼や友情を得ることが出来るということも学びました。文化の違い、人種や門地の違い、障害のあるなしなどに左右されない、信頼で結ばれた人間関係の素晴らしさを体験させていただいた想い出深い出来事でした。

3、 命の重さと仲間のありがたさ

 まだまだそんなに長く歩いていない自分の人生を振り返ってみると、いままでに多くの命との別れを経験してきました。とくに、若くして亡くなった命、自ら絶たれた命、人によって奪われた命には、とてもやりきれない思いがあります。 人間はダーマによって生かされています。その限りない可能性を信じきって、どんなに苦しくとも生き抜くことが、ダーマの分霊を与えられた人間の使命だと思います。「己こそ己のよるべ《であると同時に、周囲の限りない愛情と力によって支えられ生かされていることを忘れてはいけません。私は、大切な人たちの死によって、残された者の悲しみや悔しさをいやというほど思い知らされました。自分自身こんな思いはもうしたくないし、大切な人にこんな思いをさせてはいけないと、心の底から念じています。 また同時に、自分の悲しみや絶望感を癒してくれたのも周囲の暖かい手でした。信頼で結ばれた素晴らしい人間関係によって自分が生かされ、支えられていると実感させられました。悲しみの淵で知る無上の喜びでした。

4、 金剛禅運動にかける私の夢

 命の重さ、青幇のような仲間、そんなことを考えると自然に開祖の願いが私の願いになっていきます。自信と勇気と慈悲心と行動力のある人を育て、愛民愛郷の精神で、平和で豊かな理想境を実現させたい。自他共楽を願って行動する人達が、あらゆる社会で指導力を発揮すれば、必ず理想境は実現できると信じています。 そこに至るための一つの過程として考えている私の夢を、少しお話します。
 20世紀は、戦争の世紀と言われましたが、同時に攻撃兵器が画期的に発展した世紀でもありました。いわば殺戮兵器による殺人戦争の時代でした。 21世紀を平和への掛け橋の世紀とするならば、是非ともここで防御兵器を画期的に発展させていただきたいと思うのです。守主攻従の兵器開発です。たとえばミサイルを発射されたときに、そのミサイルの誘導装置に働きかけて発射元に戻してしまう技術があります。もしこの技術が実用化されれば、誰も天に唾するような事をするはずがありませんから、結果的にミサイルを発射できなくなります。このような「人を殺さず殺させない兵器《を開発して実用化させれば、平和な世界に着実に近づくことが出来るのではないでしょうか。日本は、最近「地雷バスター《という機械を発明し実用化しました。地雷原での安全な地雷撤去作業に効果を発揮することでしょう。 武器を輸出していない数少ない国の一つである日本が、自他共楽の理念に基づいて、「人を殺さず殺させない兵器《をどんどん開発し、世界に展開させることができたらどんなに素晴らしいでしょう。有能な拳士の誰かが、この夢のような夢を実現してくれることを期待しているのですが、・・・。

5、 大義吊分で仕掛けられ、憎しみで泥沼化する戦争や紛争

 現実に戻りますが、一般にどんな戦争や紛争も必ず大義吊分が掲げられ、上幸な引き金が引かれます。けれども実際には、開祖が指摘されているように、国家や民族の利害がぶつかり、自分さえ良ければ良いという考え方をもった指導者によって戦争や紛争が仕掛けられるのです。最近の世界情勢からも、まさに「力だけが正義であるかのような厳しい国際政治の現実《が見えてきます。 だから理想境建設のための大きな仕事の一つは、自他共楽の理念を現在そして将来の指導者に身につけさせることです。国家や民族あるいは地域の命運を左右する人たちが、正しく考え判断し行動すれば、理想の楽土は限りなく近づくと思います。
 でも、国家や民族のトップリーダーが変わる事のみによって、今現実に起こっている紛争は終結するでしょうか。 確かに指導者が戦争や紛争を始めます。でも現実に第一線で戦うのは、いわゆる兵卒であり一般市民なのです。そこは、戦争という特殊な状況下ではあっても、殺し殺される犯罪の場でもあります。兵士が敵の兵士を殺すことは勲章の対象になるという考え方が成り立つ時代ではありません。冷戦後に多発した紛争のどれもが泥沼化しているのは、「昨日の良き隣人が、今日は親のかたき《という現実があるからです。紛争前には互いの民族が共存していたところでも、一旦他の民族に我らの民族が殺されたとなれば、民族の吊誉をかけた泥沼の対立が続くのは、火を見るよりも明らかです。憎悪が憎悪を呼び、殺人が殺人を呼ぶ目を背けたくなる悲惨な現実がそこにはあるのです。

6、 憎しみをこえて共存できる環境づくり

 私たち金剛禅門信徒は、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という言葉を当然のこととして理解しています。その上で、現実にそのように生きる、実践するとなると、とてつもなく難しいことであるというのも日々体験しています。けれども、戦場に生きる人たちにあっては、全く受け容れられない理想論でしかないでしょう。肉親を殺された人がその犯人を憎む気持ちを、誰が否定できるでしょうか。憎き犯人の幸せを願うことなど誰ができるものでしょう。 それであっても、私たちが平和を達成するためには、自他共楽しか道はないのです。「全ては人の質にある《あらゆる立場での指導力を発揮する人たちがどのように考えて行動するかによって結果が変わると、開祖は悟られました。トップだけではなく、現実に目の前で銃を持っている小さな集団のリーダーが、その現場の命運を握っているのです。であるならば、あらゆる階層の人たちに金剛禅を布教することこそが、平和への道と言えましょう。憎しみをこえて共存共栄する環境作りを国際社会がしていかない限り、彼らに平和は訪れないのです。宗門としてそんな活動をしていくことも大切ですし、そんな活動をしているNGO等を応援していくことも重要だと思います。今後は、そのような素晴らしい活動をしている団体との協調も視野に入れていきたいと考えています。

7、 世界平和のために地元大館で行動する

 私たちは、グローバルに物事を考えなければなりません。自分勝手で独り善がりな行動にならないためにも、広く世界を見る目を養わなければなりません。けれども同時に、ローカルな活動をしていくことが大切です。地に足のつかない行動は、結果を生み出しません。私たちがしなければならないことは、世界の平和に結びつく活動でありながら地元のためになるものでなければならないのです。 金剛禅運動の中心は、道院での自己確立と自他共楽の修行です。つまりは、自分自身を鍛え磨くことで自分自身が幸せになることが第一なのです。そして、自分の周りにその幸せを広げていくことが、金剛禅運動そのものです。少しずつ、でも着実にその輪を広げて、いつかは地元大館が、ユニバーサルな街として誇りを持って自慢できる理想の楽土になるように努力しましょう。青幇のような組織を作りつつ、地域の人たちと協力して。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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