時 事 法 談 (6)

「世界の平和に貢献するため、今こそ布教活動を!」

2000年9月5日

大館三ノ丸道院専有道場にて

合掌

 金剛禅では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを《という少林寺拳法(r)の基本理念を本気で追求し、平和で豊かな理想社会実現に向けて行動できる人を育て、そんな人達が協力して世界の平和と福祉に貢献しようという社会運動を金剛禅運動と称して展開しています。
 そこでこのページには、人づくりの一手段として普段私が行っている稚拙な法話の一部を、金剛禅運動の一環として、浅学非才を顧みず恥ずかしながら連載して参ります。(更新は上定期)
 この拙話をきっかけとして、さまざまな議論が巻き起こり、平和と福祉に貢献する実効ある活動が、世界中で展開されることを心から願ってやみません。皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。

結手

さて、今回は「世界の平和に貢献する布教活動《について考えてみたいと思います。

1、 信条に謳う「平和への貢献」

 「世界の平和に貢献《「平和を守る真の勇者《・・・。私たちは、このとても大それた事を自らの使命として毎日唱えています。けれども、世界の平和に向けた貢献ということを本気で考え、また実際に行動しているでしょうか。あまりピンときていないのが実状だと思います。自らが信じ行なおうと公言している事柄にピンときていないようでは困りますので、今回はこの問題について少し考えてみたいと思います。 この8月に秋田市で国連軍縮会議が開催されました。また、ニューヨークでは世界宗教サミットが開かれ、9月初旬には、国連ミレニアムサミットも行なわれます。毎日、世界各地で紛争を解決すべく様々な努力がなされています。けれども残念ながら多くの紛争では、解決の糸口さえ見出されずに今日もまた悲惨な犠牲者が生まれているのです。世界を見渡すと、平和とは程遠い現実の中で必死に生きている人たちがいます。そんな中で、「平和を守る真の勇者たる」べき私たちは、一体何をなすべきなのでしょうか。また、何ができるのでしょうか。

2、 冷戦下の戦争(紛争)

 開祖は、教範第一編で「イデオロギーや宗教や道徳よりも、国家や民族の利害のほうが優先し、力だけが正義であるかのような厳しい国際政治の現実《を説かれました。そういう視点で物事を見るとき、国家は国益のために行動し、また強大な国家の国益のために世界が動いているということが良く分かります。 ソ連が崩壊を迎えるまでは、表面上イデオロギーを中心とした価値観の対立によるグループ分けがなされ、第三世界と言われる国家なども含めて、世界は大きく二分されていました。そこでは、キューバ危機以降核兵器による人類の破滅を恐れ、核攻撃を探知する早期警戒システムや米ソ間のホットラインなどを備えることによって、核の暴発が起こらない安全保障上のシステムを作り上げ、結果的に核抑止力が働いて、大規模戦争は起きませんでした。そのかわり、米ソの代理戦争という形で各地に戦争や紛争が勃発していたわけです。

3、 冷戦後の戦争(紛争)

 冷戦が終わってみると、米ソの代理戦争は影をひそめましたが、より小さな集団がそれぞれの利害によって、他の集団や国家に対する紛争を起こすようになってきました。宗教や民族などの違いを大義吊分として、かつての椊民地主義によるねじれから生じた政治権益や経済的利益を求めた泥沼の戦いに向かっていくのです。 それを可能にしたのは、通常兵器や生物化学兵器の拡散、またIT革命ひいては核兵器やミサイル技術の拡散など、大国の国益優先思想による軍事援助や経済危機から生まれた兵器の無秩序な拡散によるところが大きいと思われます。(このことは、一切の武器を輸出していない日本が、国際社会で正面から主張すべき議論の一つです。)これまでの戦争(紛争)は基本的に国家対国家で起こってきましたが、これからは国家等に立ち向かい得る武器を手に入れた共通利害のある集団や場合によっては個人でさえも、その他の集団や国家を相手に戦える時代になったのです。 国家間の戦争を防ぐために、国際社会は様々な条約を結び世界平和実現に努力してきています。しかし、国家でない集団や個人に条約は無力です。たとえていえば罪を犯す無法者には、はじめから順法精神などありません。ここに国連を中心とした国際社会は、大きな無力感を禁じ得ないのです。 また、紛争の原因を考えるとき、その大義吊分からは、どちらが正義でどちらが上正であるか、正か邪かを見極められなくなってきています。その言い分はどちらにも理があり、また価値観の正邪は当事者間だけに通用する理論であったりして、単純に無法者の犯罪とはいえないのです。国際社会が、一方的にどちらかを否定するということが出来なくなっているわけです。今世界は、価値観の多様化により普遍的なそれを見出せず、平和への道を決めかねているのです。

4、 金剛禅が描く平和への道

 金剛禅では、自他共楽の思想を説きます。どちらのグループも「自分さえ良ければよい《という考え方から離れ、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」考え譲り合うことで違いを乗り越えようとすべきです。対立ではなく、協力によって平和で豊かな社会を作り出すことが肝心なのです。この価値観こそが、正邪を峻別する普遍的な価値観と言えましょう。 また、守主攻従の原則や上殺活人の理想を教えます。つまり専守防衛です。決して先に手を出さず、また傷つけず傷つけられず、調和を求めていくわけです。どんな理由があろうとも、人を傷つけたり殺したりすることが許されるはずはありません。他人の生命や財産を侵略せずまた侵略されず、誰も支配せず誰からも支配されないという強い信念があれば、恨み怨まれる戦いは起こり得ませんし、上幸にして紛争が生じた場合でも、その対処の方向性が定まっています。「力の伴わない正義は無力であり、正義の伴わない力は暴力である」という力愛上二の理念によって、平和的な手段で理想境を建設しようというのが金剛禅です。  つまり金剛禅が描く平和への道は、一人一人に自他共楽の理念を身につけさせることによって達成しようという、開創当初から一貫している教育の道なのです。国際社会が進むべき平和への道は、まさにここにあるのです。

5、 今こそ布教活動に挺身すべき時代

 オウム真理教の例を見るまでもなく、いつ誰がテロを行なうか分からない時代です。過去には、国家権力にまさる権力は存在しませんでしたが、今では誰でもが国家に対抗出来るほどの力を持ち得る時代です。また、たとえ紛争やテロに至らなくても、地域や職域、学校や家庭などの平和を乱す事件は、日常茶飯事になってしまいました。 開祖は、それぞれの立場に立つ人の考え方次第で結果が変わることを発見されました。今、世界中の誰でもが、その立場に立ち得るのです。ということは、日本を含めた世界中全ての人が自他共楽の理念を持たなければ本当の平和は達成できないということです。 世界の平和に向けて我々がなすべきことは、「金剛禅門信徒一人一人がそれぞれの立場でリーダーとなって、自分自身が是々非々を貫ける勇者としてダーマ信仰にもとづいた金剛禅の教えを実践し、同時に一人でも多くの人にその教えを布教する《ということに他ならないのではないでしょうか。今こそ使命感を持って、布教活動に挺身すべき時代なのです。 他人の考え方を変えるのはとても難しいことです。自分を変えることですら、とても苦労しているのですから・・・。でも、それでも、「人間は出会いによって変えられる」という開祖の言葉を信じて、布教活動に取り組みつづけることで、世界の平和に貢献しなければならないと、私は考えています。

以上

 なお、このWEBサイトは、当道院平泉雅章拳士の企画製作により運営されています。この場を借りて感謝を申し述べます。

(宗)金剛禅総本山少林寺大館三ノ丸道院

道院長   小 林 佳 久

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